絵画の保存修理における基本方針 「伝統的価値としての古色」

さて、今回のテーマである伝統に話が及ぶわけですが、文化財としての絵画の生命である「表現」とは、絵画が制作された時に画家によって作り出されたもですね。ところが、時として、絵画が人から人へと伝えられてゆく間に、時が刻み、画面に遺して行ったものが、表現に準ずる絵画の視覚的価値として珍重されることがあります。それは、いわゆる古びた趣きのあるあるいは古色というべきものです。

具体的に言うと、例えば、料紙表面の細かい毛羽立ちのや若い印象、細かい埃(ほこり)の付着、酸化等によって料紙料絹が茶色がかっていることや、画面の終折れによる細かく薄い陰影などがもたらしているものです。これらは明らかに画家が絵画に与えたものではなく、長い時間がもたらした画面への付着や変色、料紙料絹の損傷といったものです。修理にあたって、修理前と変わらないようにという依頼がある時、これらの要素が絵画の価値の一部として意識されていることがあります。ここで一つ具体例を見てみましょう。

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これは、重要文化財の「寒山図」です。

はじめに修理前の本紙部分をお見せしています。(左側)

画面全体に料紙の細かい折れが見られます。茶色い染みもそこそこ見られます。また、画像ではわかりませんが、料紙の表面に細かい毛羽立ちがあって、それが料紙に厚みと柔らかさの印象を与えていました。こうした修理前の「寒山図」に見られた折れが生み出す、薄い陰影と料紙のむらむらな茶変は、この絵が長い長い時間を経てきたという感慨を呼び起こします。そこには歴史が伝えるかつての所蔵者とこの絵が過ごしてきた時間の記憶が遺されています。その絵の古びた様が先達から受け継がれてきた事の証のように思われるとき、次第にこの絵の伝統的価値が形成されて行きます。折れの陰とむらむらの薄い茶色は、この無背景の絵にあっていわば浅い空間の効果さえ生んでいます。こうした感覚は、例えば茶碗の釉薬(ゆうやく)に背景と呼ばれる表現を見出す美意識と同じ種類の美意識でしょう

参考文献 文化財の保存と修復より

 

 

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