絵画の保存修理における基本方針 伝統的価値としての表装

しかし、まだ何か失われた物を感じます。

 kanzan

実は、この修理にはもうひとつの大きな判断が有りました。それは表装です。この洒落た輪褙(りんほえ)仕立ては旧表装裂を再使用しました。この表装はもっと柔和で洒脱(しゃだつ)な風貌の人物にこそ調和した楚々とした世界を絵に与えています。しかし、実はもっと大きな空間と強靭さを持った人物を描き出しているのです。このような人物に、この表装はかすかな不協和音を生じでいます。この絵のゆったりとした大陸的な雰囲気を、輪褙の細い華奢(かしゃ)な柱は受け止めきれないのです。この絵の持っている大きさと強靭さとを調和する表装は、この華奢で洒落た美意識の表装ではなく、もっと他にあるように思われます。

しかし、です。取り合わせとして、この耀あ素晴らしい表装は日本の伝統的な美意識のある一面に示していて、設計当初の段階で旧表装裂を再使用することに、関係者は皆疑問を感じませんでした。

また、日本人が中国の故事人物画をどのように見たかが、ここには刻み遺されています。これが、日本文化の設計図としてこの絵の果たしてきた役割のいつ部を伝えていることは疑いありません。これもひとつの伝統的価値を表している要素です。ただし、ここに描かれた寒山が修理前より本来の姿を回復したとき、皮肉なことに、絵の表現と表具の意匠との乖離は、修理前より少し大きくなったのでした。それに気づいた後でも、それはまったく新しい表装に帰るべきであったとは思っていません。この表装は、とても完成した美しい意匠を持っているからです。また、表装自体が古びた趣をもっていて、長い時間の表現、つまり伝統的な価値を保存しています。

この絵の修理が完成した時何かが失われたと感じられたこと、それを突き詰めていくと、伝統的な価値観と言うべきものの働きが介在していることが次第に見えてきたと思います。

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