「托鉢僧大行列図」其の三(劣化絹)

 

 

今回は人間でいうところのレントゲンのようなものです。

肌裏打ちを剥がし終えたら、また詳しく調査します。

下方から光を当て、作品の状態を詳しく調査します。

以前の修理で欠損部分を穴埋めされたと思われる繕いの紙、すでに擦り切れてしまった部分。

そのまま残っているシワなど、様々な情報が光を当てることで詳しく確認できます。 IMG_031 IMG_032 これらを詳しく調査した後、「折れ伏せ」「補修紙」などを入れていきます。

補修紙で穴を埋めた後、画面を安定させるために肌裏を打ちます。余談になりますが、肌裏の紙を貼ることを「打つ」と言います。金箔などは「箔押し」と呼ばれています。

また、本紙の条件(紙ではなく絹本など)によっては、表打ちをした後、肌裏を打ち、画面を安定させてから、「補絹」という作業をします。国宝修理をされている工房などでは、古くなった絹糸と強度を合わせるために、「劣化絹」という物を使用します。残念ながらこの劣化絹は一般の表具屋にはてにはいらないようです。

次回は、肌裏の後の「折れ伏せ」に入ります。古い掛け軸を作る上で一番重要な部分なります。

修復事例 (托鉢僧大行列図)其の二(ポリエステル紙)

 

今回は、肌裏打ちの剥がしです。

調査の段階で、すでに肌裏が剥離している状態を何カ所か確認できたので最後まで剥がすことにしました。

場合によっては状態を観て、肌裏を残し、剥離している箇所は糊を入れて以前からの肌裏紙を活かす選択もあるのですが、調べてみると肌裏に使われていた紙は、ハトロン紙のようなもので色も本紙よりも濃く、紙の性質から言っても肌裏には適さないと判断しました。

そこで今回は、ジアスターゼを使用しました。

 

IMG_021

本紙がかなり損傷していましたので、ポリエステル紙で表打ちを施し、補強しました。

これで、ある程度は本紙の補強になります。

これをするとしないでは、作業の安心感がかなり違います。

表からだけでなく、裏からもポリエステル紙で覆うことで水分の蒸発なども防げます。

また、剥がす際に裏打ち紙に一緒に沿わせることで作業の安全も図れます。
IMG_022 数時間経てばジアスターゼの効力はなくなりますが、残留物がないように下方へ数枚の吸いとりし紙を敷き、残留物を吸いとりし紙に落とします。

この後状態を確認した後、肌裏打ちに入ります。

 

修復事例 (托鉢僧大行列図)其の一

今回は、解体の様子を詳しくご紹介いたします。

まずは、画面の状態調査から・・


IMG_011

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おそらく、今まで1〜2回は仕立て直している後が確認できます。

穴の繕いや、折れ伏せの後、すでに摺れてしまい、切れてしまそうなところなど。

最初に気になったのは、あまりにも細かいシワが多すぎる点です。

画面全体にシワが出ているので、技術的に未熟な人がされたのか、

あるいは何か事情があったのか?

いずれにしましても、このままではまた折れて、最後には切断してしまうので、

折れ伏せ、絵に影響がないところはシワを伸ばすなどの処理が必要になります。

本紙自体がかなり傷んでいるようなので、

場合によっては、表から保護の意味で「表打ち」などの下処理が必要になります。

次回は、解体し、肌裏打ちを剥がしているところをご紹介いたします。

 

 

 

 

 

伝統技術の継承と人材養成 其の四

〜修理材料・技術改良への試み〜

連盟の事業としては、加盟工房の連携による共同事業の設計、施工や、修理材料の共同購入、修理材料や技術の研究開発などいろいろとありますが、ここでは修理材料、技術の開発について触れたいと思います。

修理材料に対する認識という点では、昭和30年代以降、欧米から入ってきた自然科学的なモノの見方、考え方から大きな影響を与えられました。来日した海外の技術者からはなしを聞き、書物等で情報を得るために、科学と理念二裏打ちされた「文化財修理」の世界を知る用になったのです。

粗尿あん動きの中、昭和47年から、文化庁・東京国立文化財研究所(現・独立行政法人国立文化財機構東京文化財研究所)・国宝修理装潢師連盟の三者と、日本原子力研究所高崎研究所(現・独立行政法人日本原子力研究開発機構高崎量子応用研究所)により共同開発サレタ人工劣化絹は、20世紀の大発明であると自負しています。

それまでの補絹材料は、京都では雑多な美術品からいわゆる「似寄り」の絹の絵を選び、観時部分を使って補絹をしていました。しかし、この方法で歯、切り取られる美術品が損なわれることに加え、本紙と補絹部分の絹の強度の違いが本紙に負担を掛けるという問題があります。更に、絹目や糸の太さなどの折り目の違いに寄って風合いが異なることや、欠失部分の大きな作品の場合、補修用の絹が不足し対応出来ないという難点があります。

織目を復元し、本紙の脆弱度似あわせて劣化させた絹を人工的に作ることが出来ないか数年に渡る思考錯誤が繰り返された電子劣化絹が開発されました。現在、海外の絹本の東洋絵画の修理に、この人工劣化絹が使われておりますが、これで完成とは考えておりません。自然劣化の絹に近づくよう現在もなお研究改良に努めています。

又、紙本の修理については、30年ほど前から紙の繊維分析が始まりました。。顕微鏡による調査や専門家への依頼などを通じて、繊維の種類、繊維長、紙下降の有無などを知ることができるようになったのです。今まで経験と勘から判断されていた本紙の性質を科学的に理解する事によって、補修容の紙を復元する試みが始まりました。材質的に本紙に適合する補修紙を復元制作することで、視覚的にも力学的にも本紙に取って他企画な補修をすることができるようになりました。現在では、文化財保存修理所や各工房出も紙漉場を設け、技術者自身の手で補修紙が制作されるようになっています。

又、それらの補修材料を用いられるDIIPS方式について簡単にご紹介致します。

まず、乾式肌上法は、このユオなシンポジウムの機会n何度かご紹介させていただいておりますが、修理の根幹となる「肌裏紙の打ち替え」についてのものです。本紙を支える肌裏紙の打ち替えは、100年に1℃の本格修理において最も大切な工程です。打ち替え方法刃大きく分けて2種類あります。ある程度の水を使って接着剤を膨張させて肌裏紙をめくる湿式肌上法と、予め表うちを施して起き、裏から肌裏紙の繊維をほぐすように除去する乾湿肌上法です。今回、詳細には触れませんが、30年のほど前に開発されたこの乾式肌上法は、特に裏彩色が施された絹本絵画の修理に対して非常に大きな効果を発揮します。湿式の場合、裏彩色を破損し、絵画表現を大きく変えてしまう危険性があります。乾式肌上法では、ぞ感を掛けて裏の繊維をほぐすように取るこtに寄って、裏の表現を変えずに肌裏打ち紙を打ち替える事ができます。ただし、乾式は湿式の数十倍の時間が掛かるという難点があります。しかし、ながら、保存上の安全性と言う面から考えると、乾式のほうに多くの利点があるといえるでしょう。

DIIPS方式も、このような機会に何度かご紹介させていただいております。デジタル画像を利用して補紙の形状をデータ化し、データに基づいた補修紙の成型を行う事によって作業性を高め、手作業と同じ程度の仕上がりを実現する方法です。大まかな工程でしましたとおりですが、紙本の、特に虫害が多い物には、大変有効な処理方法であると言えます。

この乾式肌上法とDIIPS方式に共通しているのは、より安全で的確な修理を目指して開発された技法である点です。前者は以前より作業に時間が掛かるようになりましたが、後者では作業性の良さも加わっています。いずれにしても、安全性という再優先事項を中心に考えた時、珍念二おける現場の大きな技術革命であったと言えるでしょう。

 

セッションⅢー2より

国宝修理装潢試練名理事長 岡 岩太郎 氏講演より抜粋(平成22年現在)

 

 

伝統技術の継承と人材養成 其の三

〜技術者の意識の変化〜

この半世紀を振り返ると、伝統技術の継承の在り方は大きな変化を遂げたことがわかります。半世紀前、技術の伝承は完全な徒弟制度の中にありました。店主、番頭、職人さんたちという、縦一列の組織のなかで、職人は以下にして技術を自分の身に付けるのかという事を考え、切磋琢磨して今した。当時の文化財修理には、京都で言う「表具師」の中でも、新作の仕立てではなく古美術品の修理を主に行っている工房が携わっていました。私達が所属している国宝修理装潢師連盟は、昨年50周年を迎え田団体ですが、日本で初めて、国の指定文化財の修理に関わっている7工房が結集して設立されたものです。連盟としてこの50年は、修理技術者としての共通認識を持ち、組織として文化財を守り、修理技術者を育成していくという方向へ大きく転換していった歴史があったといるでしょう。

重要なてんきとなったのは、連盟が設立されて20年後、本年30周年(平成22年)を迎える文化財保存修理所が京都国立博物内に解説されたことです。国によって設立された専門の建物内で専門的な設備を使用して修理に取り組む事ができる事、技術者が安心して仕事をする事ができる環境を与えられたことは、技術者自身の認識を変え、又世間の認識も変えました。技術者は、それまでの「表装の人」という意識から、「専門性の高い修理技術者」おいう意識に変わり、世間にもその専門性が認知され始めたkとで、大学で専門的な知識を学んでこの世界に入ってくる志望者が増え始めました。連盟設立50年を掛けて醸成サレタ、高度な専門性を持つ技術者集団としての自覚により、現在では、組織として一つの理念を持って文化財修理に携わることができるようになりました。この認識は、50年の間に連盟が取り組んできた数々の事業を経て獲得されたものであるといえます。

 

セッションⅢー2より

国宝修理装潢試練名理事長 岡 岩太郎 氏講演より抜粋(平成22年現在)

 

伝統技術の継承と人材養成 其の二

 

〜伝統技術とは〜

「伝統技術」という言葉は、広辞苑などで引いても明確に定義する記述は見当たりません。経済産業省が定める伝統工芸品の指定要件には「伝統的な技術又は技法により製造されたものであること」という規定(昭和49年施行「伝統的工芸品産業の進行に関する法律」より)があり、これを受けて財団法人伝統工芸品産業振興協会では、「伝統的とはおよそ100年間以上の継続を意味し、その技法は、100年間以上、多くの作り手の思考錯誤や改良を経て初めて確立する」と定義付けています。それと同じように、私達も伝統技術とは、100年以上の単位で積み重ねられた技法、工程、道具によって行われている技術のことであり、そこで使われている材料が伝統的に生産されてきた材料であると考えています。長年にわたって伝承された材料、道具、技術が揃って、初めて「伝統技術」をよぶことができるでしょう。

伝統技術が100年単位のものである事と同様に、文化財の再修理の周期がおよそ100年であることは興味部会事実です。すなわち、現在修理されている作品は、100年前にでんとう技術・材料を用いて修理されたという事になります。現在の私達の技術は伝統技術を基礎としており、そのうえに改良された技術や材料を罪重ねる事によって、より安全性の高い修理を目指しています。つまり、伝統技術においても、現在の技術で安全に再修理することができる事が保証されているのです。その点、新しい素材は、まだ再修理の周期が回ってきていません。当面の処置による効果は得られても、長い時間をかけた経過観察をしなければ、安全性の確証が得られないのです。わたしたちが伝統技術を継承するのは、たんに伝統の墨守をしているわけではなく、安全性の保証という事を重要視しているためです。

 

セッションⅢー2より

国宝修理装潢試練名理事長 岡 岩太郎 氏講演より抜粋(平成22年現在)

釈迦とトトロ

先日、燕三条駅前周辺で「濃い」友人達と楽しい宴会をしました。
今年が60年に一度の出雲大社と伊勢神宮の遷宮の年なのかどうかはわかりませんが、お釈迦様の話題が出ました。
釈迦が菩提樹の下で、35歳の誕生日の夜、ついに悟りを開いた。
その後45年間布教伝道を続けた末、80歳で入滅を迎えた。
釈迦は、相手の能力や性格などを見極めて説法を臨機応変に変えていたため、弟子たちの間には幾つもの教えが混在していた。
弟子たちはそれらを整理するため、「結集」と呼ばれる会合を持って確認しあってきた。しかし、没後、100年ほど立ちと次第に意見の対立が見られるようになり、釈迦の説いたことのみを正当とする「上座部」とときの流れに応じて伝統を改変すべきとする「大衆部」とに根本分裂した。
その後、大衆部は様々な要素を取り入れ世界中に広がり、上座部は古代インド文明圏から外へでることすらが出来なかった。
しかし、世界に広がった大衆部の教えは曖昧な部分が多く、原点を求めて、上座部の教えを求めた。つまり、どちらが良い悪いではなく、両方が必然であったと。光と影。右と左。男と女。
そんな話から、「風立ちぬ」の話題になり、「トトロ」への話題になる。
トトロには昔の日本の原風景や日本人の持つ情緒、子供の純粋さなどがふんだんに散りばめられているすばらしい作品です。
このトトロにも実は、都市伝説が有り、裏のトトロが存在するのです。それは、ネット検索していただければ直ぐに出てきますが、例えば、最後のシーンでなぜ、メイとさつきは病室に入らず、木の上から覗いていたのか?トトロという名前は実は「トロール」というhttp://homepage3.nifty.com/onion/monster/troll.htm 北欧の妖精から由来しているとか、またムーミンのモデルなったといわれています。トロールを見た人間は近い将来死んでしまうことから、死神とも呼ばれている説もあります。又、映像的には、池でメイのものとみられるサンダルが見つかる有名なシーンが有りますが、その前に、走っている時にメイのサンダルが脱げて、履き直すシーンが出てきますが、それが布石となっているのではないかとも言われています。
このへんにも宮崎アニメの緻密さ完成度の高さを感じることが出来ます。見る人によって、いろんな捉え方ができる表現方法で何度観ても新鮮さは失われません。

そして世界中の人々に愛されました。
そんなところに、釈迦とトトロの共通点を感じたのでした。
そういえば、昔、性能に優っていたベータ方式とVHS方式の熾烈な戦いをVHSが制したところにも、ヒントが有るように感じました。

伝統技術の継承と人材養成 其の一

セッションⅢー2より

国宝修理装潢試練名理事長 岡 岩太郎 氏講演より抜粋(平成22年現在)

「装潢」という言葉は、すでに八世紀に「正倉院文書」や「天平経」の奥書などの文献資料に現れ、装潢は表装と同義語として使われています。「装」は「よそおう」「潢」は「染める」意味で、古代においては、経巻や屏風を作成する過程で、紙を染め、形をを作る職人を「装潢手」「装潢師」と呼んでいたことがわかっています。現在の仕事は、装潢技術を使って文化財を修理することです。文化財と行ってもその対象は広範囲に渡りますが、そのなかの有形文化財、さらにその中の美術工芸品に含まれる絵画や書跡、歴史資料が仕事の対象です。

材質で言うと、紙や絹、板、土壁を素地とし、其の上に描かれた・書かれたものです。

文化財修理に用いる装潢技術の内容は、大きく2つに分けられます。仕立てる技術と本紙を修理する技術です。作家のてから離れた本紙は、それのみでは飾ることもほぞんすることも出来ません。そこで、掛軸や巻子、屏風、襖、冊子など長い年月の中で多彩な形式が生まれ、形作るという技術、そして傷んだ本紙を修理するという技術が、伝統技術として継承されて来ました。

 

東京国立博物館におけるインターン制度 其の七

博物館の日常業務は繁忙であり、その中で研修生を長期に渡り受け売れるのは困難無場合が多い。就労体験として外側からの観察を可能にするためには、用意周到な準備が必要となる。更に、専門家育成を目的としたインターンシップの場合には一層の準備を必要とする。一方、大学でも学生の興味や能力に適した受け入れ施設を探しだすのは容易なことではない。このような状況の中で、NPOの存在は博物館と大学をこおうか的に結びつける機能を持つ存在として、重要な組織と位置づける事ができる。NPOはインターンシップの受け入れ可能な博物館をリストアップすると同時に、インターンシップを希望売るが癖も登録し、両者の都合と希望を結びつける。大切なことは、研修を1箇所の期間のみで貫徹することにこだわることなく、複数の期間を利用できるように工夫することである。そのように考えることに寄って、各機関が持つ特徴と都合に合わせて、研修生のとって内容が豊かで、かつ受け入れ側にとっては負担の少ないカリキュラムを作成することが可能になる。研修生はカリキュラムに従って、それぞれの時期に応じた期間に出向き、一定期間の研修を受ける。このような仕組みによれば、複数の現場を体験する事によって現場感覚をより高める事ができる研修となるだろう。更に、こうした過程を踏みことは、自己の関心を明確にし、勝具体的な疑問点を意識することに繋がる。このレベルにまで達した関心や疑問に応えるためには、前述したような各分野の専門家を講師ついて配した専門家養成実践セミナーが必要二なってくるだろう。

これまでに述べてきた各要素は、げんざいの日本にはすでに存在している。それらは社会的なインフラストラクチャーである。ここを繋ぎあわせたす号的な観点から社会に貢献することが出来ないのである。文化財の保存を担う新しい人材の育成に足して、我が国がこれまでに形成してきた文化財保護のための社会インフラの有効な活用が大きな可能性を広げてくれるはずである。

そのためには、大学・博物館・美術館、そしてNPO の連携がまず何より大切であり、中でもNPOの接着剤としての役割に期待するところが大きい。文化財の保存のための守りては、社会全体で協力して育成することがこれからの重要な目標である。

20130821

参考文献  文化財の保存と修復より

東京国立博物館におけるインターン制度 其の六

〜現行制度から次の段階へ〜

保存修復課がインターンを受け入れるためには、インターン生は実物作品の取扱いを行わないという点に関する全館的なコンセンサスの形成が前提で有った。取扱で発生した事故に関する責任と保証について、現状では館内にいて、また学生が所属する大学との間において十分な整理がなされていないためである。その為インターンシップの内容は就労体験学習であって、専門家養成研修ではない。一方では、平成20年から専門が講師陣を揃えたNPO法人文化財保存支援機構との共催による「文化財保存修復家養成実践セミナー」を開始しているが、こちらも同様に具体的な作品の取扱に関しては現行では課題がある。しかしながら、博物館業務の中でお香¥なう研修と専門家講師陣による実践セミナーは、いずれも文化財保存の取り組みに関する実践と応用とはいかなるものであるかを具体的に理科できる機会であり、実際の臨床現場が持つ臨場感を研修生が感じ取ることが出来る内容になっている。

img013大学における文化財の保存学に関する教育はあくまでも基礎を中心とした内容である。又、そうでなければならない。基礎部分の習得を目的とし、かつ教育が大学内での講義に限定されているとすれば、現場感覚にかけた教育環境になることは避けられない。

その為現場感覚を理解することのない学生が育ち、そのことはすなわち実践能力が低いことになる。しかしそれは、大学教育の菜kではあたりまえの事であり、それを補うのが博物館や美術館などの社会の組織である。これまでの大学と博物館は、学芸員過程の博物館学の中で、短期の実習の場として協力しあう程度の関係でしか残念ながらなかった。学生は線も的な関心を持ってその場に臨むことなく、一方の博物館も専門家養成の場として受け入れる準備を行っているわけではない。

しかし、今日行われているインターンシップは、就労体験型は大学と社会が明確な目的で連携する新たな段階に入ったと考える事ができる。

参考文献 文化財の保存と修復より