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人材養成にはたす博物館の役割 其の三

〜文化財の保存から保護へ〜

日本は早くから文化財の保存に関わって来ました。最初は、明治4年(1871)の「古器旧物保存方」で、ついで明治30年(1897)に「古社寺保存法」それらを改正して昭和4年(1929)に「国宝保存法」が制定されていましす。不動産関係の文化財で言えば、大正8年(1919)に制定された「史蹟名勝天然記念物保存法」があります。この流れをまとめて、新生日本の取り組みの中で生まれ変わったのが、昭和25年(1950)に制定された「文化財保護法」つまり現行の法律です。

ここで、多分気がついておられないと思いますが、昔の法律にはすべて「保存」とあり、現行の法律では「保護」となっています。保存から保護へ変化しています。実は、この保護という言葉の中には、保存という意味と活用という意味の両方があります。この事は制度の内容を見るとわかります。保存の部分でがっちりと制度を定める一方で、活用についても触れているわけです。これまでは活用の部分が比較的疎かにされて来ました。保存だけが主張されているというイメージがあります。近年、保存涛活用のバランスをとることに必要が言われているわけですが、保護というのはそういう意味です。「文化財保護法」のなかでも、保存は制度的にもしっかりと息づいてするはずですが、どういうわけか、これまで保存についてはあまり積極的な博物館のテーマにはなりませんでした。社会的なテーマでは有ったのですが、そこで私ども九博としては新しい考え方を提案し、実践すべきだと考えて、今日まで活動を続けています。

参考文献 文化財保存と修復より

人材養成にはたす博物館の役割 其の一

今週は、九州国立博物館館長の基調講演より抜粋して、ご紹介いたします。

博物館と学会が文化財の保存・修復にどのような役割を果たしているのか、どんな人材を養成しようとしているのかといった事をご紹介させて頂きます。

博物館は文化財を展示したり、活用したりあるいは文化財を収蔵。保管するするなどの様々な役割を持っていますが、博物館が文化財の保護に関して重要な役割を果たしていることを、あまり深く考えておられないと思います。博物館こそ活用の最前線であり、同時に保存の最前線であるという考え方や実態をご紹介したいと思います。

文化財の守り手はいろいろ考えられます。普通は、修理技術者出会ったり保存科学者、文化財の貯蔵者、近年ではいくつかのNPO法人が部分的にせよそれぞれのテーマで文化財の保存に重要な役割を果たしています。そして、一番強調したいことは、市民の存在です。市民のパワーにはいつもびっくりさせられます。九州国立博物館は(以下、九博と略す)背景に政治的、行政的な力がありましたが、本質は市民のパワーによって開設された経緯を持っています。そのようなことを勘案しますと、文化財を市民とともに保存、活用していくことが非常に重要です。これからは市民の力をもっと大事にして行かなければならないと思っています。

もう一つは、比較的忘れがちですが、コーディネーターの存在です。保存の現場と文化財を活用する間に入って調整するのがコーディネーターです。このコーディネーターは日本ではなかなか育ちませんでしたが、文化財を守って行く時重要な役割を果たします。このような様々な人達によって文化財の守り手が形成されています。

参考文献 文化財の保存と修復より

 

平面作品との保存と修復 東洋絵画  其ノ二

主な共同作業としては次のようなものがあります。

まず、昭和30年代に、修理にかかわる保存科学について記述されたプレンダリースの著書(下図)を翻訳し、勉強会を持ちました。この事業は、連盟を立ち上げた先輩たちが、日本の修理の中に自然科学の視点を持ちこむことを必要と感じたことがきっかけでした。このような流れのなか、昭和46年度より、絹絵欠失部分に補填するための材料として、人工的に劣化させたミヌを共同開発しました。それは現在、世界中の東洋の絹絵を修理するために紫陽にも対応出来る様になっています。昭和46年から26年掛けて行われた色定経4300巻の首里に始まり、上杉文書や三千院文書等の修理に共同で取り組んで来ました。現在も10ヵ年計画で、10,000紙に及ぶ国宝・東大寺文書の修理が進行中です。

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このような当連盟の活動に対して、平成7年に文化庁から選定保存技術団体として認定を受けました。以来、補助金を受けて伝承者の育成、技術技能の錬磨、記録作製及びほんの発行という、3本柱を中心に事業を進めてい来ております。連盟の登録具術者を始め装潢技術にかか割る人々を対象に、定期研修も毎年行なっており、今年(2008)もこの会場で11月に行いました。

参考文献  文化財の保存と修復より

時代色と染み抜き

現在進行中の掛け軸の作業工程をご紹介いたします。

今回は、過酸化水素という薬品を使用しました。

お客様との打ち合わせで、一番下方にある直径2㌢くらいの染みをどうするか?

ここ以外には大きく気に掛かるような染みは特になく、この強い染みが落ちなければ

最悪、この部分を切り落とすという判断もありうる。という事になりました。

お客様にとってかなりこの染みが気になってしまうのだと感じました。

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前         後

画像の撮り方が未熟でわかりにくいですが、強い染みがほとんどわからなくなりました。

ここで重要なことは、染みが抜ける最小限の薬品を使うということに注意して

行いました。なぜなら、染みは抜きたいが、長年の間に自然についた「時代色」

は残すべきだと考えたからです。薬品が強すぎれば、作品(紙本)にもダメージがあります。

ひとつ間違えれば、作品の寿命を縮めかねなからです。

もう1回洗いをしたいところですが、一歩手前で終了と致します。

 

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組織の中で保存修復管理者を確立させるには・・・・

昨日に引き続き、神庭氏のパネルディスカッションの抜粋より

私は東博で働かせていただくようになって満9年を迎えようとしています。私が勤める前、一人だけ保存修復管理官がいました。それ以外はいませんでした。その方は5年あまり勤務され、病気で亡くなられ、その後を私が引き継いだわけです。この保存修復管理官という役職は、定員削減の時代の中にあって純増で出来たポストです。この時代に珍しいことです。そこから私の苦悩が始まるわけです。私もその方向を目指してその組織体をつくていきたい。でも、私一人では手も足も出ません。ダルマ状態で仕事しなければなりません。最初は、1台きりのデータロガーを持って保存科学のちからを借りて東博に挑戦する感じでした。なんとか人を増やして、組織を作って、巨大な文化財と建物をどう考えたらよいか。やるからには人が必要です。しかし、純増はもうありません。どうするかというと、人を食っていくんです。つまり、美術史の人がやめたら、その補充に保存関係の人を入れてもらうということです。それによって保存は一人増えますが、美術史が一人減ります。そのような厳しい状況のかなで人を増やさざるを得ません。そうやって何人かの保存専門の人間が確保できてきたのです。私にとっては、なんて言うんでしょうね、申し訳ないのですが、それをやらなければ保存は確立出来ません。だから、「保存は役に立たなきゃならないよ」といつも言っています。学芸員が困っていたら、直ぐに手を差し伸べて、一緒に考えて役に立てる事を信条としてやっています。

京博は人が少ない。保存の人間が一人食っちゃうと展示も何も大変なことになります。じゃあ担当学芸員という方地で良いか。もしも私が保存の専門家ではなく、例えば中国美術史の専門としてここにいて、これが保存担当学芸員として働いていた場合、やっぱり美術史的研究や展示と言った事柄と利益を共有します。だからどうしても、保存という方向性に対する強い欲求が生じにくくなり、保存分野の確立という方向性が明確にはなりません。保存と違う方向に引きずられていきます。ですから、一緒に歩んでいける保存の専門家を、私は一人くらい食って採用していただきたい。そこから始まっていくのではないかと思います。

保存担当学芸員が広がりを見せる一つの底辺を作ることが必要です。その前に、職業があって始めて裾野が広がります。まだ日本にありません。それを何としても実現していく必要があります。保存修復学会会長を先頭に頑張っていただきたいと思う次第です。

 

参考文献 平成20年度版 文化財の保存と修復より

 

東京博物館の取り組み 対症修理例 その3

下図は、「博物館魚譜」と呼ばれる、様々な魚の絵が折れ本装のアルバムに、スクラップ上に張り込まれた資料です。全部で16冊あります。折れ本の両面に、絵が折りこまれていて、開閉の際に、折れやシワが生じやすく、取扱が大変困難な資料です。

この資料は、草創期に編集された、まさに博物館最初のコレクションの一つとして大変記帳なものです。資料性を尊重するためには、このままの状態で出来るだけ長く保存、活用すべきであると考えます。したがって、最小限の介入でぶら下がる紙を固定するために、和紙のポケットのよな保護カバーをつけることにしました。いつでも、元の状態に戻す事ができるので、今後、より良い方法が開発されれば、文化財に負担を与えることなく、再度処理を行う事が可能です。もちろん、それまでの間の取扱も安全になるでしょう。

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参考文献 文化財の保存と修復より

 

 

東京博物館の取り組み 対症修理例  その1

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まず、どのような修理保存に対しても共通ですが、対症修理をするに当たって、必ず守っている条件があります。

それは、、、

①必要にして最小限の処置に留めること

②可逆性のある安定した材料を用いること

③記録を残すこと

修復倫理として、世界で共通認識されている、「オリジナル性の尊重」を念頭においた条件です。

対症修理の例です。

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下図は、紐の新調

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img0013上図は、文化財の表面に付着した汚れの除去。

下図は、掛け軸の掛かりを良くするために軸棒に埋め込まれた鉛の除去と言った作業です。軸棒の鉛の酸化・膨張という問題は、軸装だけでなく、巻子においても同様に起こっています。酸化・膨張した鉛が裂や本紙二傷をつけた後だけでなく、機会があるたびに、軸棒の鉛の有無を確認し、カルテに記録していくようになりました。明らかに膨張の兆しが見られる物に関しては、太巻き芯に巻くなど、膨張が起こった後に鉛と本紙が接触しないようにな工夫などをいて、先手を打って処置を考えております。それは、次に説明する処置につながります。

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参考文献 文化財の保存と修復より

 

 

東京博物館の取り組み 対症修理と本格修理

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上図は、当館の修理保存件数の推移です。

修理保存を実際に担当する専門家が配置されてから、本格修理に比べて対症修理の件数が飛躍的に伸びています。解体を含む大掛かりな修理は、文化財によっては、どうしても周期的に必要になりますが、現実問題としては、経費や時間や文化財自体への負担を考えると、できる限り先送りにしたい処置でもあります。しかしながら、劣化や痛みの著しい文化財に対して、ただただ見守っているだけでは失われるものが多く、活用のできないというジレンマがあります。そこで、やはり対症修理の必要性が年々高まって来ているというわけです。文化財へのアクセスを安全に行うための処置は、時に緊急を要することが多いのも事実です。ぼんやりとした遠い将来のことではなく、目の前の問題を確実に解決していくこと、これが文化財へのアクセスと直結しているのではないでしょうか。

参考文献 文化財の保存と修復より

対症修理とは

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上の図は、掛け軸の軸木に埋められた鉛が錆びて膨張し、軸木の中から爆発した様子です。

掛け軸をまっすぐに垂らすために、鉛を入れた時代が有りました。現在博物館ではこのようなことはしていませんが、かつてそのように処置されたものが博物館にあります。時間がたって爆破した結果、文化財に穴を開けることもあります。何十年もたたないとこのような結果を見ることはできません。

作品は展示場に出る前に、軽微な処置を施され、痛みが出来るだけ見えないよう状態で展示場に運ばれます。収蔵庫内で保管する際にも、できるだけ多くの作品に軽微な処置を施します。そのような予防保存プラス修理保存の意味でこの処置を【対症修理】と呼んでいます。痛みが極度に進んだものは、本格修理を実施して痛みを安定化させる以外に手段はないと思います。ややもすれば、従来こうした本格修理にのみ関心が寄せられていました。しかし、これは避けられなければならない結末です。実際に傷んでしまった文化財も東京博物館には多くあります。すでに数百年から1000年たったものも多いため、みな劣化の方向に向かって進んでいます。この進行を出来るだけ遅らせ、出来れば本格修理は避けなければなりません。今目指しているのは、修理保存から予防保存に舵を切って進んでいくことです。

参考文献 文化財の保存と修復より

収蔵庫内の環境管理

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上の図は、東京博物館の収蔵庫の相対湿度の状態を示しています。東京博物館は九州国立博物館のような新しい施設よりはるかに古い建物なので、そうした古い建物をどう改善していくかが与えられた課題です。上の図では40%〜80%の相対湿度を示していますが、平成11年の相対湿度は70%ほどのところにいます。このようなグラフを用いていると環境の診断・解析ができます。

では、この状態をそうしたらよいのでしょうか。数億円の予算を要求して収蔵庫を改修し、一気に良好な状態に飛び越すこともできますが、それほどの資金はありません。そこで、数十万円の除湿機と加湿器を導入して、館員が交代で協力しながら、朝な夕なに水を足したり、除去したりという努力を積み重ねていくと、年をおうごとに湿度が低下していきます。平成18年の状態を見ていただければ解るように、最も出現頻度の高い湿度は50%程度の値まで下がりました。これは一度にたくさんのお金をかけなくてもできたことです。しかし、人の力がなくてはできませんでした。こうなるとこは理論的にはわかりますが、実現するには学芸員の協力が必要です。私達はこのようなことができるという方向性を示すことは出来ましたが、私達だけの力では実現することはできません。博物館の学芸員やそのほかの職員と橋梁下から実現できたのです。

参考文献 文化財の保存と修復より