保存」タグアーカイブ

保存修復技術と人材育成

美術・工芸の分野では、そちらかといえば伝統的な修復技術・材料が尊重され、また神社仏閣の首里では宮大工などの伝統的な技術を生かした修理が行われている。考古遺物の場合には、長年土中に埋もれていた金属遺物や木材などの勇気質の多くは、物理的化学的な劣化が起こり、伝統的な修理技術を施すには手遅れの状態にあり、現代科学の粋を集めた化学的な処理が求められた。

美術・工芸品の分野でも自然化学的手法による調査研究は、鋭意実施されてきたのだが、日本列島全域に及ぶ発掘調査を契機に文化財における自然科学的のどうニュが加速度的に進展したといえるだろう。事実、保存修復科学分野の担当者のおおくは地方公共団体の「埋蔵文化センター」に配属されており、ほとんどの期間に保存科学関連の機器が装備されている。

保存科学技術の考古学分野への一気呵成とも言える導入の動きは文化財保存技術の開発研究と同時に修復技術を習得するための更なる要望、すなわち個人的・集団的なトレーニングの必要性を生み出していった。

参考文献 文化財の保存等修復より

文化修復科学の黎明

岡倉天心

文化財の保存修復のための科学的研究はいつ頃、どのようにして始まったのであろうか。一つには、明治時代の美術評論家出会った岡倉天心(1862〜1913年)に負うところが大きいと言われている。彼は、美術教育、古美術の保護、創作美術の保護活動に数多く業績を残している。明治10年代におこなわれた古社寺調査に従事し、明治29年(1896)には古社寺保存委員会委員となり、日本全国における古美術品の調査を行なっている。他方、帝国博物館の設立に尽力しており、明治22年(1889)には同館の理事に、後に美術部長を務めている。明治37年(1904)からは米国のボストン美術館に勤務し、東洋部長も務めた。1887年には、新設された東京美術学校(のちに東京芸術大学)の幹事、そして校長を歴任している。

大正2年(1913)8月の古社寺保存委員会の席では、「法隆寺金堂壁画保存計画に関する建築家」を提出し、日本美術品保存の、とりわけ法隆寺金堂壁画の科学的な調査研究の必要性を訴えている。これを受けて法隆寺壁画保存方法調査委員会画設立され、昭和9年(1934)から始まる昭和の大修理につなげている。

20130731

修理に際しては、壁画をとり外す前に第一線の日本画家達による壁画の模写が行われた。しかし、壁画顔料の剥落がひどく、応急的な処理を必要とした。伝統的な美術品修復材料としての(にかわ)や糊(のり)、アクリル樹脂などによる修理が試みられている。この大修理を通して文化財の保存技術が飛躍的に向上したことは言うまでもない。そして、自然科学分野の研究者をも引きこんだ大事業が我が国における保存科学誕生の契機となったことは確かである。

 

参考文献 文化財の保存と修復より

人材養成にはたす博物館の役割 其の六

文化財を活用する博物館のもう一つの役割は、文化財の修理です。今から30年前の昭和55年(19980)に、京都国立博物館二修理施設が設置され、奈良国立博物館には平成20年(2008)に、九博でも開館と同時に設置されました。東京国立博物館でもそれ相応の施設が宋座しています。

文化財の修理施設画が設置されている背景には、修理する人たちが安心、安全に修理出来る場所、あるいは文化財にとっても安心、安全を保ちながらしっかり修理される場所は、博物館であるということであります。現在、これらの修理施設に伝統的な修理技法や手法を持つ工房が入って活動されています。

そこで、安全性が確保され、また、各工房同士が集うことで切磋琢磨しています。もちろん、その中で素材や材料の共同開発も行われています。難しい修理になると共同研究も行います。そして、今、修理に係るそれぞれの団体では研修を行い、資格制度にも関心を向けながら新鮮な修理世界の展開に挑んでいるわけです。

そして、九博では、そうした修理の生々しい実態を、市民の地域が理解し、文化財修理の大切さとその意義の理解画広がっていく事を嫌いしています。また、市民が修理を知り、修理に大きな関心を寄せることによって、次の新しい担い手がドンドン生まれてくる可能性に期待して、修理施設を運営しています。具体的には、九博では国宝修理装潢師連盟の九州支部の方々が修理しています。この修理の世界は、かつて閉ざされた秘密の世界でした。そのタブーカラの脱却として、廊下に窓を設け、外から子供立ちを始め市民も見ることができるようにしました。(下図)

130730

この効果の意義を私どもは大事にして行きたいと思っています。

また、教育普及の一環でもありますが、子供立ちに保存に関心を持ってもらうために「なりきり学芸員」と読んでいますが、保存修幅を体験できるような機会も設けています。そいて、修理だけでなく、修理した結果もこれからはしっかり公開していくことで、修理、保存のあり方を一般の人々に広くご理解頂くようにしていきます。このことはすでに東京国立博物館も積極的にやられています。こうした積み重ねが、文化財の保存に向けた人材養成への道を大きく拓くことだと信じています。

学会の活動にはあまり触れられていませんでしたが、学会ではポスターセッションなどの機会を通じて文化財の保存に関心のある市民たちに積極的に公開しています。実際に学会のポスターセッションを見に来る関心を持った市民が大勢います。それから、学会活動として難しい、高度な話ではなくて、市民に向けて情報を発信していく努力を通じて、私ども文化財保存修復学会と姉妹関係にある日本文化財科学会も文化財の守り手を育てることに学会全体としても挑んでいるという事を是非ご理解いただきたいと思います。

参考文献 文化財の保存と修復より

絵の具とラーメンとうなぎ

ラーメンのスープは「呼び戻しスープ」などの技法が有り、毎日継ぎ足し継ぎ足しで店の味を守っていく。
うなぎも秘伝のタレを守り続ける。

さて、洋画、日本画についてはいかがでしょうか?
伝統の「秘伝の色」は存在するのでしょうか?

ラーメンのスープ、秘伝のタレなどは、毎日「火入れ」と言って殺菌、カビなどが生えないように、毎日欠かさず熱を入れます。店によっては、衛生面を考えて毎日鍋を換えるところもあるようです。
我々の世界では、新糊になる生麩を入れてある瓶に張ってある水を毎日入れ替えます。
この時に、かき混ぜたほうが良いという方と、混ぜずにそのままのほうが良いという方と意見が別れるところでもあります。
いずれにしましても、その土地の環境や風土によって最良の方法を目指して工夫した結果です。
ここで「色」に話を戻します。
小学生の頃、水彩絵の具で写生をしました。その時、パレットに絵の具を出すわけですが、
その時に使う色だけをパレット出す人、その絵に使いそうな色を全部パレットにだしてから絵を書き始める人。
様々な書き方があります。もちろんどの方法が正しいとか悪いとかといっているわけではありません。肌色の絵の具もありますが、あえて白と茶色を混ぜて肌色を出す人など、人それぞれ様々な
書き方をしていました。また、先生によっても、指導方法に違いが見られました。
そして写生の時間が終わり筆を丁寧に水洗をします。
問題はその後です。
パレットを毎回洗う人、洗わない人にわかれます。もちろんめんどくさくて洗わない人もいるでしょうが、学年でずば抜けて上手い人が一人二人いて、その子たちは私の知る限り洗ったことはないようでした。
もちろん当時は何も考えず見ていたのですが、今になって記憶を辿りますと確かに思い出せます。
朝日を浴びた花びらの色、夕立後の花びらの色、早朝の空の青色、真昼の空の青色などすべて違います。
きっとその人にしか出せない色が存在すると思います。

人材養成にはたす博物館の役割 其の五

〜九州国立博物館館長基調講演より〜

収蔵庫の保存環境をしっかりと整えるために、私どもの博物館では博物館科学、つまり保存科学の分野をしっかりと構築して、それに携わる人たちを組織し、木の指せるように努めています。そのことが、守り手を育てる事にも繋がっていくと考えています。

日本の博物館刃、これまで保存科学、博物館科学おいう組織をほとんど持っていませんでした。繰り返すようですが、文化財は活用しなければなりません。しかし、活用にともなって生ずるリスクは非常に大きな物があります。そのリスクを減少させ、リスクを解消するように努力していくことを担当するのが、博物館科学です。今後、博物館刃この分野を一層昨日させることで、適切な保存の場としても位置づいて行くと、私は考えます。そして、近年、日本の各地の博物館や美術館でも新しく取り上げられるようになったのが、総合的病害害虫管理です。虫やカビのない環境を作っていく活動です。全く虫やカビのいない環境などはありえませんので、人の手によって虫やカビを助教指定校という活動です。日本の文化財の特色の一つは文化財を個性する材質が紙や木という有機質であることですが、その有機質文化財の70%以上は、虫やカビにより大小の被害を受けています。その為、虫やカビを百歩t館や文化財公開の施設からなるべく除去することが日常管理として重要です。毎日掃除をしていこうということです。この管理体制に入っている人たちも、しっかりとした守り手です。文化財の関係者はそのよな方たちをサポートして行く必要があります。

また、IPM活動の進化した形として、いわゆるNPO法人として各地出いろいろな活動をしていくという新しい展開も見られるようになっています。このNPO法人がこれからの博物館の保存の部分では守り手として求められる様になるでしょう。私どもを始めとするいくつかの博物館ではすでにそのような活動を行なっています。

参考文献 文化財保存と修復より

人材養成にはたす博物館の役割 其の四

〜九州国立博物館館長基調講演より〜

博物館ですので、保存するための施設として収蔵庫を持っています。しかし、これからは文化財を忠たんに収蔵するだけでなく、安心・安全に保存していく事のできるよい環境を整えていくことが、博物館のもう一つの大きな責務となってい来ます。

博物館は、私の実体験から申しますと、展覧会などの公開に3割のちからをさき、保存についても同じように3割り程度のちからを割いて来ました。多くの市民の方には展覧会だけが目につきますので、展覧会に9割ほどのちからをかけているとお考えかも知れませんが、そうではありません。その他、調査・研究や管理の部分にも3割ほどのちからをしています。そのようなバランスんなかに博物館は存在しているのです。

そして、保存ための施設という事で細かく見ていくと、いろいろな問題点があります。例えば、虫がいない、カビが発生しない、文化財に取って居心地の良い施設を作り、それを保っていくことが博物館の大きな役割です。問題は、そのような事をする人たちをどう育てていくかです。この部分に、行政はこれまでほとんど目を向けてきませんでした。守る人たちを作り、育てることが日本では遅れています。活用するための人を育てたり、展覧会をやる人、いわゆる学芸員を育てることに遭遇してきたきらいがあります。そのことも重要ですが、これからはバランスよく、守る人立ちを育てていくことも重要なテーマとなっています。

ここで、収蔵庫の様相を簡単にご紹介します。非常に些細な事かもしれませんが、収蔵庫の壁の板張りには、白太材を用いています。このようなことで文化財を守る環境を作っています。麻tあ、収蔵庫内の棚の作り方など、細やかな工夫がいろいろあります。それらは、総括的に保存という寒天で考えれて行かなければならないテーマです。

参考文献 文化財保存と修復より

 

人材養成にはたす博物館の役割 其の三

〜文化財の保存から保護へ〜

日本は早くから文化財の保存に関わって来ました。最初は、明治4年(1871)の「古器旧物保存方」で、ついで明治30年(1897)に「古社寺保存法」それらを改正して昭和4年(1929)に「国宝保存法」が制定されていましす。不動産関係の文化財で言えば、大正8年(1919)に制定された「史蹟名勝天然記念物保存法」があります。この流れをまとめて、新生日本の取り組みの中で生まれ変わったのが、昭和25年(1950)に制定された「文化財保護法」つまり現行の法律です。

ここで、多分気がついておられないと思いますが、昔の法律にはすべて「保存」とあり、現行の法律では「保護」となっています。保存から保護へ変化しています。実は、この保護という言葉の中には、保存という意味と活用という意味の両方があります。この事は制度の内容を見るとわかります。保存の部分でがっちりと制度を定める一方で、活用についても触れているわけです。これまでは活用の部分が比較的疎かにされて来ました。保存だけが主張されているというイメージがあります。近年、保存涛活用のバランスをとることに必要が言われているわけですが、保護というのはそういう意味です。「文化財保護法」のなかでも、保存は制度的にもしっかりと息づいてするはずですが、どういうわけか、これまで保存についてはあまり積極的な博物館のテーマにはなりませんでした。社会的なテーマでは有ったのですが、そこで私ども九博としては新しい考え方を提案し、実践すべきだと考えて、今日まで活動を続けています。

参考文献 文化財保存と修復より

人材養成にはたす博物館の役割 其の二

〜九州国立博物館館長基調講演より〜

ここで視点を変えて、博物館の役割を改めて検証してみます。現在の「文化財保護法」が制定された次の年の昭和26年(1951)に「博物館法」が制定されました。この博物館法で歌われている博物館の役割は、次のようになります。

第1は資料つまり文化財を公開・保護することです。この公開するということは活用することと同義語として考えて頂いて良いのですが、この公開が博物館の主な任務として強調されて来ました。第2は、調査・研究、第3は資料(文化財)の収集・保存です。収集方法としては購入、寄贈、寄托など様々なかたちがあります。

そして、これまでは、残念ながら保存の部分はあまり注目されて来ませんでした。保存が注目されてようになるのはやっと10年ほど前からです。

博物館の持っている役割、すなわち資料の公開・保存・調査・研究・収集のかなで、「文化財の守り手を育てる」というテーマには、この保存の部分が関連します。

ここで、公開、活用の状況を私どもの博物館を例にかんたんに説明します。いわゆる展示公開はいろいろなテーマで行なっていますし、常設展なども海外のモノを始め様々な文化財を展示しています。また、何に何回かの特別展も企画しています。東京博物館では、海外展の帰国展「国宝の土偶展」を開催していますし、中旬からは「はせがわ東伯展」が開催されます。特別展は年間をとおしてやるわけにはいきませんので、年に3回なり4回開催していますが、大変労力のいる仕事です。

参考文献 文化財の保存と修復より

人材養成にはたす博物館の役割 其の一

今週は、九州国立博物館館長の基調講演より抜粋して、ご紹介いたします。

博物館と学会が文化財の保存・修復にどのような役割を果たしているのか、どんな人材を養成しようとしているのかといった事をご紹介させて頂きます。

博物館は文化財を展示したり、活用したりあるいは文化財を収蔵。保管するするなどの様々な役割を持っていますが、博物館が文化財の保護に関して重要な役割を果たしていることを、あまり深く考えておられないと思います。博物館こそ活用の最前線であり、同時に保存の最前線であるという考え方や実態をご紹介したいと思います。

文化財の守り手はいろいろ考えられます。普通は、修理技術者出会ったり保存科学者、文化財の貯蔵者、近年ではいくつかのNPO法人が部分的にせよそれぞれのテーマで文化財の保存に重要な役割を果たしています。そして、一番強調したいことは、市民の存在です。市民のパワーにはいつもびっくりさせられます。九州国立博物館は(以下、九博と略す)背景に政治的、行政的な力がありましたが、本質は市民のパワーによって開設された経緯を持っています。そのようなことを勘案しますと、文化財を市民とともに保存、活用していくことが非常に重要です。これからは市民の力をもっと大事にして行かなければならないと思っています。

もう一つは、比較的忘れがちですが、コーディネーターの存在です。保存の現場と文化財を活用する間に入って調整するのがコーディネーターです。このコーディネーターは日本ではなかなか育ちませんでしたが、文化財を守って行く時重要な役割を果たします。このような様々な人達によって文化財の守り手が形成されています。

参考文献 文化財の保存と修復より

 

平面作品との保存と修復 東洋絵画  其ノ四

後継者・材料・道具の問題

後継者につきましては、以前より多くの若伊方に事業所の門戸を叩いていただけるようになりました。特に二十数年前までは、ゼロであった女性の技術者が半数以上の応募が有り、装潢技術者の半数以上を占めるようになりました。平均年齢も30歳代前半という大変若い団体であるという事が、連盟の誇りです。後継者育成という点で、先に消化した定期研修会の他に、連盟の予算で個人研修を募るなど、全体としてのレベルアップを図っています。

また、海外にも目を向け、東洋文化財の保存修理を視野に入れて国際交流にも努めています。

最も深刻な問題は、材料と道具の確保です。文化財の修理には大量の材料、道具が不可欠です。

和紙や織物、金工、指物など日本人の生活様式の変化に伴って全体的な需要が減少するに連れ、伝統的な製品を作る工房の閉鎖が後を立ちません。例えば、軸物の裏打ちに欠かせない美須という絵和紙は接着剤が古糊から科学的な糊へと変化したことに寄って需要が激減し、現在、美須紙を制作しているのは日本でただ1工房のみです。それも60代のご夫婦が制作されており、現在のところ後継者はいないと伺っております。紙以外のものでは、染織品の中に伝統的な技術を守って私達が希望するような表装裂地を織ってくれる工房も、ほんの1,2工房と少なくなっています。

すべての工程出機械化が進んだため、手作業に必要な道具が書く分野から消えていっています。

装潢修理に使用する数種類の刷毛も数工房でしか制作していないのが現状です。このような工房をどのように支援していく事ができるのかが、大きな課題の一つです。具体的には文化庁に相談して選定保存技術の指定をお願いしたり、指定が得られた後には、この工房の製品を文化財の修理に必ず使用して各生産者を支えていくという努力を続けています。これをあらに続けて行かなければならないと考えています。

img00013

参考文献 〜文化財の保存と修復より〜

※ 2012年現在では、あらゆる面で再び減少傾向に有り、厳しい対応に迫られることもあるようです。