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絵画の保存修理における基本方針 真正性と伝統的価値

古びた趣、古色は人の思いが作り上げてきた伝統的な価値と言えます。伝統的価値とは、真性であるかどうかを判断することはできません。そもそも生い立ちが異なるものであって、真性が否かというようなものではないのです。ただ、それを価値あるモノと強く思う人々による称賛だと言えます。しかし、伝統はそれ故に、やがて人々がそう思わなくなれた消えるでしょう。ところが、それが消え去り、失われると気づかれた時、強い思いとともに回帰してくることも有るでしょう。

 

伝統というものはいつも不思議なもので、気付いた時には失われたものとして意識され、つぎにありつづけた確かなものとして意識されます。それは実は繰り返し起こっていることであるようです。長い時間を経て、大事に伝えられてきたものには、伝えてきた人々の思いがこもっています。そうした伝統的な価値観は、文化財の真正性とは別の生い立ちを持つ価値観で、絶えず変化してゆくであろうと思われます

しかし、それは無碍(むげ)に退けるわけには行かない。文化財のよっては、そうした伝統的価値のほうが、制作当初の表現の占める価値よりも大きく重要なものである場合もあるからです。すべての文化財は多かれ少なかれ、制作当初に生み出された要素と、後世に獲得していった要素から成り立っています。そのことをよく理解して、頭のなかで整理しておく事により、伝統的価値をどれだけ遺すかの判断はより正確になるでしょう。

あちらが立場こちらが立たないという関係に真正性と伝統とがある時、一つ一つの絵をよく見つめて、失うものと、後世に遺すべきものを、修理が終了するまでの時間の中で決断しなければならないのが文化財の修理です。

参考文献 文化財の保存と修復より

 

絵画の保存修理における基本方針 伝統的価値としての表装

しかし、まだ何か失われた物を感じます。

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実は、この修理にはもうひとつの大きな判断が有りました。それは表装です。この洒落た輪褙(りんほえ)仕立ては旧表装裂を再使用しました。この表装はもっと柔和で洒脱(しゃだつ)な風貌の人物にこそ調和した楚々とした世界を絵に与えています。しかし、実はもっと大きな空間と強靭さを持った人物を描き出しているのです。このような人物に、この表装はかすかな不協和音を生じでいます。この絵のゆったりとした大陸的な雰囲気を、輪褙の細い華奢(かしゃ)な柱は受け止めきれないのです。この絵の持っている大きさと強靭さとを調和する表装は、この華奢で洒落た美意識の表装ではなく、もっと他にあるように思われます。

しかし、です。取り合わせとして、この耀あ素晴らしい表装は日本の伝統的な美意識のある一面に示していて、設計当初の段階で旧表装裂を再使用することに、関係者は皆疑問を感じませんでした。

また、日本人が中国の故事人物画をどのように見たかが、ここには刻み遺されています。これが、日本文化の設計図としてこの絵の果たしてきた役割のいつ部を伝えていることは疑いありません。これもひとつの伝統的価値を表している要素です。ただし、ここに描かれた寒山が修理前より本来の姿を回復したとき、皮肉なことに、絵の表現と表具の意匠との乖離は、修理前より少し大きくなったのでした。それに気づいた後でも、それはまったく新しい表装に帰るべきであったとは思っていません。この表装は、とても完成した美しい意匠を持っているからです。また、表装自体が古びた趣をもっていて、長い時間の表現、つまり伝統的な価値を保存しています。

この絵の修理が完成した時何かが失われたと感じられたこと、それを突き詰めていくと、伝統的な価値観と言うべきものの働きが介在していることが次第に見えてきたと思います。

絵画の保存修理における基本方針 「修理によって失われるもの」

では、何かが変わった、あるいは失われたという感覚を皆さんもおそらく共有されるでしょう。

修理の前後で、折れの消失によって何が失われたのでしょうか。それは浅い空間の印象がひとつです。古びた様子から受ける長い時間の表現です。そして、料紙の表面の暖かさでした。

それらはいずれも画像が創りしたのではなく、伝世のうちに付け加えられたものです。文化財の修理に当たってはその真性性を守ることが要求されることは前にもう申し上げましたが、ではこうした古びた趣は真正性の一部をなしているでしょうか。こらえは否です。

例えば浅い空間を感じさせる折れは、料紙が摩擦によってどんどんすり減っている箇所ですから、致命的損傷です。修理によってなくさねばなりません。それが文化財の保存を危うくするものであれば、取り除かねばなりません。

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「桐」

昨晩、夕方6時30分から「桐箪笥の謎?」というテーマの番組がありました。

今回は桐について。

私たちの日常生活で考えると、森林の中で運動や散策をしたり、瞑想に耽ったり(ふけったり)する森林欲は、生理的に重要な役割を果たしています。

いえのまわりに木を植えると、私たちの精神面や健康面にプラスの効果が生まれます。

また、合板のプリントにわざわざ木目をあしらうように、木目は日本人が特に好んでこだわるモノの一つと言えます。本物の木目を眺めて、安らぎを覚えた景観のある方は少なく無いだろうと思います。木目が人間に心理的な安らぎを与えることに関する研究によると、木目には「ゆらぎ」と表現される1/f効果があるそうです。1/fのゆらぎ、優れた絵画には1/fのゆらぎ、漫画にも、それとはまた違う変動幅のゆらぎが備わっているそうです。

また、お中元や贈り物として、高級果物の販売コーナーには立派な桐製の箱に入ったメロンが並んでいます。この場合の桐箱は、メロンを保存するためではなく、呼吸感を演出するためのものです。高価で貴重な美術品や骨董品が桐箱出保管されていることが、桐箱に収めるものは高価であるというイメージに繋がったのだろうと思います。桐箱のもう一つの効果です。

「洗練された紙漉き」其の二

紙床つくり

漉きあげた湿紙は、水分をできるだけ除いた後に、上桁をあげ、簀を持ち上げて、紙床板(漉付板、漉詰板、積み板)の上に一枚づつ積み重ねて紙床を作る。
湿紙を紙床に移す時、床離れしやすくするため、手元の端を少し折り返しておく場合が多い。これを「耳折り」(ひびり、よせ)というが、いぐさや稲わらなどをはさむところもある。
昔は湿紙の水切りのため、漉槽側面に「桁持たせ」を設け、簀を湿紙ごと傾けて立てかけておき、次の一枚を漉いてから紙床に移した。
また「紙漉大概」によると、紙床に移した湿紙の簀…簀上に細かい円筒形の棒(ころばかし木)を圧しながら回転させて水切りした。
これは気泡を消すためで、今は気泡ができないように注意しながら湿紙を重ねる。
ところで、溜め漉きの場合は、湿紙を紙床に移す時、西欧風に一枚ごと毛布にはさむ。粘剤を用いていないので、質紙が互いに剥がれにくくなるのを防ぐためである。

湿紙の脱水

紙床に積み重ねた湿紙は多量の水分を含んでいるので、一夜ほど放置して自然に水分を流出させ、その上に麻布・押掛板などを置いて、圧搾機に描ける。
古くから用いられた圧搾機は支柱の穴に圧搾機の一端を差し込んで紙床にのせ、他端に重石をかけるが、急激な加圧を避けるため、この石は軽いものからだんだん重いものに変えていく。石圧法といって、紙床の押掛板の上に重石を乗せるだけのこともある。
近年は油圧・水圧による螺旋式の圧搾機を用いることが増えている。
また、豪雪地帯では、新潟県の小国紙のように湿紙の塊である紙塊を雪中に埋めて、積雪の重さで圧搾する雪圧法もある

乾燥の方法

圧搾しても湿紙にはなお60~80%の水分が含まれているので、さらに太陽熱または火力で乾燥する。
日本で昔から普及していたのは板干しで、紙床から剥いだ紙葉を干し板に刷毛で貼り付け、野外に並べて天日で乾燥する方法である。
本来は簾に接した面があるので、この面が干し板に接するように貼る。
欲しい他の表裏両面に貼り付け終わると、干し場に運んで板架台に立てかけておく。普通冬季は半日ほど、夏季なら約1時間で干しあがる。
天日干しは燃料なしで経済的に十分脱水でき、日光で漂白されて光沢のある紙が得られるが、量産には適さないし、雨天には作業できない。
そんな欠点があっても、良紙を作るためにこの天日干しに、こだわっている紙郷が多く、「ピッカリ千両」という言葉が残っているところもある。
火力乾燥法は季節・天候に関係なく、昼夜の別もなく、紙かも量産に適するもので、鉄板製の面に湿紙を張り、湯または蒸気で鉄板を熱して乾燥する。
これは近代に考案されたもので、固定式と回転式ガある。
固定式は、断面が三角形や長方形の細長い縦型のものと、横に平らな鉄板をおいたモノとがある。
回転式は、断面が正三角形の角筒である。
火力乾燥によると、紙面は板干しより平滑になり、緊密にしまって腰が強く、均質なものが得られるが、完全に脱水されないので日時の経過につれて重量を増やしたり、和紙独特の味わいが失われる欠点がある。
古来の板干しは日本独特の方法とも言えるもので、中国や朝鮮では熟した壁面「中国で焙碧(ホウヘキ)という」を用い、西洋では室内の縄とか竹にかけて乾かしている。

 

「洗練された紙漉き」

今日とあすの2回に分けてご紹介いたします。

今日

紙料の調合

溜め漉き

流し漉き

明日
紙床つくり

湿紙の脱水

乾燥の方法

紙の調合

水を満たした漉槽に叩解した紙料をほぐしながらいれ、まず1メートルあまりの小さい竹あるいは木の攪拌棒でかき混ぜる。
この後漉槽の両側にある支柱に馬鍬を乗せ、手で前後に数百回激しく動かして、繊維を分散させる。
近年は手動でなく、電動スクリュー式攪拌機を用いることも増えている。
この後流し漉きの場合、粘剤(ねり)を加えて、さらに攪拌棒でかき混ぜて、漉槽の紙料濃度を均等にする。

溜め漉き

漉き方は大きく分けて、溜め漉きと流し漉きの2法がある。
溜め漉きは漉桁に挟んだ簀面に紙料液を溜めて、簀目の間から液を滴下させ、簀面に残った紙料で紙層を形成する技法である。
漉桁をまったく動揺させないと、紙面に凸凹が出来やすいため、緩やかに揺り動かす操作を加えることが多い。
この技法は主として厚紙を漉く場合に用いられている。
紙料液を少量汲めば薄紙も漉けるが紙面の厚さが不均等になって漉きむらが出来やすく、小さな破れ穴が出来ることが多い。

漉き流し

漉き流しは素面に汲みこんだ紙料液を揺り動かす、すなわち流動させ、さらに適度を超える余り水を流し捨てて紙層を形成する技法で、和紙の場合もっとも多い漉き方である。
流し漉きは粘剤を添加するとともに原則として三段階の操作をする。
第一の操作を初水(化粧水・数子)といい、浅く汲んだ紙料液をすばやく簾面全体に広がらせて、繊維の薄幕を作る。
次の操作を調子といい、初水よりやや深く汲み、前後に(紙質に寄って左右も)揺り動かす。求める紙の厚さによってこの操作を繰り返すが、「揺り」の操作は 紙の地合いや強度、すなわち美しさと強さに深い関係があり、一般に硬くしまって腰の強いことが望まれる半紙や半紙紙は強く、奉書紙のように柔らかさを求め られるものは緩やかに揺らす。
この緩やかさにさざ波を立てるような漉き方を宮城県では「漣漉き」といっている。極薄の天具帖紙の漉き方は流し漉きの極致といわれ、縦横十文字に、むしろ渦巻状に激しくゆすって地合いを整えるとともに粘り強さを与えている。
最後の操作は捨て水(払い水)といい、くみ上げた紙料の層が適当な厚さになると、漉き桁のてもとを下げ、水面に対して30度くらい傾けて紙料液の半量を流し落とす。
さらに漉き桁を反対の前方に傾けて残った紙料液を押すようにして向う側に流しだす。
この捨て水が流し漉きの重要な特徴で、コレによって簾上の液面に浮いている塵や繊維の結束の結晶などの不純物を除く。
塵船の中の紙料濃度は、一汲み語とに変化するので、漉きはじめと漉き終わりの紙の厚さを同じにするには、調子操作の回数や組み込み量を常に調節しなければならない。揺り動かす速度や方向、幅なども紙質によって異なり、紙かもリズミカルに行わねばならない。
それらの適度を勘で習得し、体に覚えこませるには長年の修練が必要であるが、そのような高度に洗練された技術で流し漉きが行われている。

■10年後・・・■

今、新築される建物のほとんどにいえる事だが、確実に和室の数がが減ってきている。
下手をすると一間しかない家も少なくない。
この業界に入ってかれこれ四捨五入すると30年近くになるが、いままでツーバイフォーとかいろんな工法を使った建築を見てきた。その中でほとんどの物が消えていった。
最後に残った工法は結局一番古い工法の軸組み工法(従来工法)だ。
きっと日本の風土に一番適しているから残るのだろうし、増改築ができるなどの柔軟性も評価されているのだと思う。
この30年と言う短期間だけをとっても少しずつ建築手法もかなりの変化をしてきている部分もある。現場に居て一番感じるのは大工さんがゲンノウ(かなづ ち)を持たないことだ。今はほとんど、ビス止めに変わってきている。ゲンノウの代わりに電動ドライバーを握っている。私が弟子の頃は鉋の「シュ!」と言う 心地よい音と、ゲンノウの音とが重なり合っていた。今はモーター音がけたたましくうなっている。

基本の考え方は変わらない。たとえば、基本となる構造材から仕上げ材へ近づくほど材料が薄くなっていく。人の体と一緒だ。

10年後はどうなるのだろう。。。

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今から、5000年~6000年前の化石(新石器時代)若い男女のものらしいです。

「蛹(サナギ)は蝶になる」

今回は仕事に直接関係ないのですが、ご紹介したいと思います。

 

 

幼虫から蛹になるとき、大きな変化がおきる。

夏休みのある日、男の子が、ラジオ体操の時間よりかなり早く神社に着いた。

男の子は、蛹から蝶になろうとしている瞬間に遭遇した。

殻をなかなか破れない。見かねた男の子は殻を破ってあげた。。。

殻から出てきた蛹は羽を広げることが出来ないでいる。

羽を広げられない「不恰好な蛹」はのそのそと草陰の中に消えていった。

蛹に戻れず、蝶にもなれないまま。

実は、蛹は、殻を破ろうともがいて、もがいて、もがくことで体の養分を羽のほうに
まわすことが出来る。その結果として、殻を破り、羽を精一杯広げることが出来るのだ。

大事なのは結果ではなく、過程だ。

■色彩感覚■

現在50代で割とどんな色でも抵抗なく受け入れられるしいろんなチャレンジもしている。
しかし、20代のころは、実は茶系が好きでついつい仕入れる材料も茶系が多かったような気がする。
30代は逆に青系をお多く使ったような気がする。
あくまでも感覚と記憶なので確かなデーターがあるわけではないが。

色から受ける印象は生活環境によってどんどん変わっていくのだと思う。
なぜなら、夏にクーラーのよく効いた部屋で見る絵画とそうでない部屋で見る絵画はやはり違うと思う。
目から入ってくる情報の順番は、色、大きさ、形の順番だと言う。
毎日、新聞に挟まれてくる広告を見ても確認できる。
本当によく考えられていると感じる事がある。
色の対比のさせ方で、お互いを引き出している。
伝えたいところは大きくセンターに。は基本中の基本だ。

そして、次に来るのが【音】そして【光(照明)】の影響力もかなりあると思う。風鈴の音を聞きながら琥珀色の酒を傾ける。口元に近づけると泡のはじける音がする。。

■ 何故、掛け軸は数百年前の作品を残すことが出来たか?  ■

まず、これを説明するためには掛け軸の構造を知っていただかなくてはなりません。

基本的には表側から本紙→肌裏紙→増し裏紙→総裏紙の順番でつくられています。

本紙 (紙の場合を紙本、絹地の場合は絹本と呼ぶ)

肌裏 (基本的に美濃紙と呼ばれ、薄くて張りのある丈夫な紙)

増し裏(美須紙と呼ばれ、楮に石灰を混ぜ込んだ柔らかくしなやかな紙)

総裏(宇田紙と呼ばれ吉野で取れる白土を混ぜ込み作られる割とシッカリとした紙

直接われわれの眼に触れるのは総裏に用いる宇田紙です。数百年も前の作品を見ると、はるかに額装より、軸装のほうが多く残されています。

なぜか?
最初に一言付け加えておきますと、物を劣化させる物質は全て酸性であるといわれております。保存に一番適している状態は中性~弱アルカリ性だといわれております。

それを頭に入れておいてください。

それでは解答です!
それは光や空気に触れないからだといわれております。

現在では、家の中で火を起こし煙がでるなんて事はあまり見受けられないようになりましたが、昔は現在の額のように硝子やアクリルなどで保護をするものがありませんでしたし、常に光にさらされていました。

1年を通しての天候による温度差、湿度差、光(紫外線)など、本紙が直接影響を受けていました。

掛け軸はというと、巻き込むことで光を遮断し、空気中を漂っている粒子(酸性物質)から護り、さらに、本紙の表面には巻き込むことで総裏紙に練りこまれた 白土(弱アルカリ)に護られる(中和される)というわけです。また、糊自体は酸性なのですが、美須紙、宇田紙に含まれる石灰、白土のアルカリ性で中和され ます。

このように書いてきますといいところばかりのようですが、実は欠点もあります。

巻き込む事で作品の画面をゆがめてしまうことなのです。本紙の上に乗っている顔料が剥落する恐れがあるのです。

また、取り扱いがなれないと収納するときに皴(しわ)や折れが出てしまうことがあるのです。画面が折れた状態で巻き込むという行為が何度も繰り返されると限界を超えたとき、断裂してしまいます。

現在の日本画は洋画のように顔料を盛る技法が盛んです。そのため、軸装より額装のほうが多く作られるようになりました。

表装するときにはこれらの事を十分踏まえてどんな装飾にするのかご判断ください。