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平面作品との保存と修復 東洋絵画  其の一

今週は、国宝修理装潢師連盟についてもう少し詳しくお伝えしようと思います。

以下、装潢修理をめぐる現状と課題より抜粋〜

装潢修理の仕事

装潢という言葉は、正倉院文書などなら時代の文献にすでに現れており、その頃から巻子や屏風を仕立てる仕事がはじめっています。「装潢」を辞書でひきますと、「表装と同義語」とあります。尾の表装技術を使って文化財の修理の対症となるものは、紙や絹、土や板などに顔料を膠(にかわ)で接着させた絵画と、墨蹟(ぼくせき)や転籍(てんせき)、古文書など紙に墨で書かれた書跡です。それら、絵や書が描かれた本紙の修理に加え、本紙を形作る軸物、屏風、襖、巻子、冊子などさまざまな形式に仕立てることも、私達の仕事です。

国宝修理装潢師連盟は、平成21年(2009)に50周年を迎えます。昭和34年に、当時、国の指定文化財を修理していた7工房が結集して設立されました。現在では10工房が加盟しており、約130名の登録技術者がおります。

連盟内でお互いに連絡をとり、共同作業や共同での技術開発を行なっています。

次回は共同作業についてお伝えします。

参考文献 文化財の保存と修復より

 

 

修復家という職業としての確立

従来の日本の博物館の在り方からして、文化財の保存を学芸員は途中でいろいろなかたちに姿を変えながらここまで来ましたが、それにともなって、研究員が担うべき職務内容も変化しています。戦後直ぐの博物館では、学芸員の保存修復の事を考える事を業務として行うと、明確に書かれていました。それで最近、保存修復の専門家が入ってきたわけです。その一番大きな理由は、公開がこれまで以上に促進される時代になったことでしょう。文化財を公開することと同時に文化財に附属する様々な情報もきちんと整理して、正確に外へ発信しなければならない時代になりました。正確を期し、安全性をより高めるという意味からも。独立し、専門化した保存の担当者が必要になります。

残念ながら、これまでの日本の社会の菜か出罪挙げられなかったため、博物館に保存修復という職業がなく、博物館における一般的な職業として成立してはおりません。お巡りさんといえば何をする人かわかりますし、看護師さんといえば何をする職業なのかわかります。しかし、今、一般の市民に博物館の保存修復とは何をする職業なのかという事はまだ十分に理解されているとは思われません。早く職務の一つとして確立していかねければなりません。職種ができてもふさわしい人がいなければ仕方がないので、人材の養成も不可欠のことです。どちらが先かわかりませんが、今はどちらにも課題があるという状況です。

参考文献  文化財の保存と修復より

 

展示するには修理が必要

「探検バクモン」という番組で、7月20日に再放送が決まりました。

 

探検記録アンコール 秘宝ザクザク!東京国立博物館(放送:2013年7月3日/再放送予定:2013年7月20日)

http://www.nhk.or.jp/bakumon/prevtime/20130703.html

今回はこの時に爆笑問題のお二人を案内をされている神庭修復課長のパネルディスカッションの一コマをご紹介いたします。私が、3.11の岩手レスキューに参加した時に幾度かお会いさせて頂きました。当時は、そんなに偉い人とは知らなかったので、今になってから変な汗が出てきます。

東博の所蔵品の点数は、公式的には11満点と言われております。ただし、1件に2点、3点、あるいは100点というように、件数を細かく個別に見ていくと数百万点が収蔵されています。それを言い出すときりがないので件数でお話しますが、東博では常時、皆様の目に触れやすい作品は5000件です。つまり、年間5000件ほどが常設展示されています。その他、数線点を館外へ貸出ていますので、大雑把に言って約1万件が頻度高く利用されている収蔵品です。この1万件に痛みが多いわけです。例えば、巻物ならば折れが発生して修理しなければならない時期が来ます。それを見て行くと、正確な数字はお答え出来ませんが、1万件の中に相当数が本格的な修理を必要としています。しかし、それらを一挙に修理することは不可能です。全部修理するには数百年かかると思います。

そこで優先順位をたてるようにしています。具体的菜痛み具合をきちんと把握するため、先ほどご紹介したようなカルテを作製しながら進めています。それでも年間、数百点の調査しか出来ません。1満点全体が把握出来れば、難点出何年掛かります。と直ぐいえますが、今は、数千点が修理を待っているとしか言えません。実際は、それ以上かもしれません。

これまで1年間に100件の本格修理を積み重ねてきています。経費をこのまま維持出来れば、1万件ならば100年、2万件であれば200年掛かります。そのようなオーダーで考えていかければならない問題です。

人気があって、良く展示されたり、他館に貸し出されるものはある意味規則正しく痛みます。1年に1回の展示を100回行うと、100年たてば紙ものなら折れが目に見えるようになります。そのように痛みが進行して修理していくという感じです。すべて修理するのに100年掛かるとすると、1周したら最初のものが傷んで来ているという無限のサイクルのかなで手当していくことになります。博物館だけでなく、文化財を管理するあらゆる立場の人たちは、そのような状況にいると考えて頂いて良いわけです。

参考文献 文化財の保存と修復より

 

東京博物館の取り組み 対症修理 その2

将来的な損傷を予測し、先回りをしてその損傷を予防するという対症修理の例です。

この処置の中には、文化財に対する直接的な処置だけでなく、保存箱を作製するという作業も含まれています。下図はまさに環境保存の中に分類できるとおもわれる、保存箱や保存用補助具制作の一例です。保存箱は埃や汚れなどから、文化財を保護します。中性紙の筒状の芯は、紙の変形を防ぐためのもので、作品を緩やかに巻き込むために使用します。いずれも、文化財に直接接着剤を用いて穂居するという処置出ないことが利点で、確実に文化財の寿命を延ばし、本格的な修理を先送りにする役割があります。また、腰ほどお話した軸棒の中に埋められた鉛の問題では、あのような些細に思える処置こそが、将来的に予想される危険な損傷を予防することにつながるのです。

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参考文献 文化財の保存と修復より

 

 

 

 

東京博物館の取り組み 対症修理例  その1

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まず、どのような修理保存に対しても共通ですが、対症修理をするに当たって、必ず守っている条件があります。

それは、、、

①必要にして最小限の処置に留めること

②可逆性のある安定した材料を用いること

③記録を残すこと

修復倫理として、世界で共通認識されている、「オリジナル性の尊重」を念頭においた条件です。

対症修理の例です。

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下図は、紐の新調

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img0013上図は、文化財の表面に付着した汚れの除去。

下図は、掛け軸の掛かりを良くするために軸棒に埋め込まれた鉛の除去と言った作業です。軸棒の鉛の酸化・膨張という問題は、軸装だけでなく、巻子においても同様に起こっています。酸化・膨張した鉛が裂や本紙二傷をつけた後だけでなく、機会があるたびに、軸棒の鉛の有無を確認し、カルテに記録していくようになりました。明らかに膨張の兆しが見られる物に関しては、太巻き芯に巻くなど、膨張が起こった後に鉛と本紙が接触しないようにな工夫などをいて、先手を打って処置を考えております。それは、次に説明する処置につながります。

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参考文献 文化財の保存と修復より

 

 

対症修理とは

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上の図は、掛け軸の軸木に埋められた鉛が錆びて膨張し、軸木の中から爆発した様子です。

掛け軸をまっすぐに垂らすために、鉛を入れた時代が有りました。現在博物館ではこのようなことはしていませんが、かつてそのように処置されたものが博物館にあります。時間がたって爆破した結果、文化財に穴を開けることもあります。何十年もたたないとこのような結果を見ることはできません。

作品は展示場に出る前に、軽微な処置を施され、痛みが出来るだけ見えないよう状態で展示場に運ばれます。収蔵庫内で保管する際にも、できるだけ多くの作品に軽微な処置を施します。そのような予防保存プラス修理保存の意味でこの処置を【対症修理】と呼んでいます。痛みが極度に進んだものは、本格修理を実施して痛みを安定化させる以外に手段はないと思います。ややもすれば、従来こうした本格修理にのみ関心が寄せられていました。しかし、これは避けられなければならない結末です。実際に傷んでしまった文化財も東京博物館には多くあります。すでに数百年から1000年たったものも多いため、みな劣化の方向に向かって進んでいます。この進行を出来るだけ遅らせ、出来れば本格修理は避けなければなりません。今目指しているのは、修理保存から予防保存に舵を切って進んでいくことです。

参考文献 文化財の保存と修復より

収蔵庫内の環境管理

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上の図は、東京博物館の収蔵庫の相対湿度の状態を示しています。東京博物館は九州国立博物館のような新しい施設よりはるかに古い建物なので、そうした古い建物をどう改善していくかが与えられた課題です。上の図では40%〜80%の相対湿度を示していますが、平成11年の相対湿度は70%ほどのところにいます。このようなグラフを用いていると環境の診断・解析ができます。

では、この状態をそうしたらよいのでしょうか。数億円の予算を要求して収蔵庫を改修し、一気に良好な状態に飛び越すこともできますが、それほどの資金はありません。そこで、数十万円の除湿機と加湿器を導入して、館員が交代で協力しながら、朝な夕なに水を足したり、除去したりという努力を積み重ねていくと、年をおうごとに湿度が低下していきます。平成18年の状態を見ていただければ解るように、最も出現頻度の高い湿度は50%程度の値まで下がりました。これは一度にたくさんのお金をかけなくてもできたことです。しかし、人の力がなくてはできませんでした。こうなるとこは理論的にはわかりますが、実現するには学芸員の協力が必要です。私達はこのようなことができるという方向性を示すことは出来ましたが、私達だけの力では実現することはできません。博物館の学芸員やそのほかの職員と橋梁下から実現できたのです。

参考文献 文化財の保存と修復より

掛け軸の修理手順

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掛け軸は通常、本紙の裏から順に、肌裏紙、増裏紙、中裏紙、総裏紙と呼ばれる4枚の裏打ち紙が、小麦粉澱粉糊によって接着されています。(上図)

掛け軸全体を支えている総裏紙と、中裏紙が剥がされると、表具裂が本紙の周囲から外れます。また、増裏紙が剥がされると、本紙と直に貼り合わされたもっとも重要な肌裏紙が現れます。文化財修理の分野では、この肌裏紙を除去する工程は、高い水準の技術が要求されることの一つですが、本紙の折れや亀裂、欠失と言った損傷を根本的に改善するためには欠くことのできない作業です。

さて、掛け軸装はすでに述べた通り、収納時には本紙の表面を内側に巻き込んで箱に収納します。これによって、額縁などに比べれば非常にコンパクトに収納することが可能となります。

ある程度の大きさのモノであれば運搬も簡単で、優れた装訂形態であると言えます。その一方で、本紙の表面を内側に巻き込む作業を何度も繰り返す事によって、表面が擦れて絵の具が剥落(はくらく)したり、本紙に折れが発生するという弱点を有しています。本紙の表面に折れ傷が発生すれば、その箇所は健全で平坦な部分より出っ張るようなかたちで高くなるため、掛け軸の巻き解きの際に余計に表面が擦れる事になって、折れ傷は最終的には亀裂へと進行します。

このような損傷が発生した場合に修理が必要とされます。修理を施さいなまま亀裂を放置しておけば、その小口から損傷が進行して本紙自体の欠失へと悪化し、表現が施されれている本紙そのものが失われることになります。そのことは、絶対に避けなければなりません。

修理作業の内容の詳細は、ここでは割愛させて頂きますが、損傷してしまった本紙を修理するためには、掛け軸装などの装訂を解体して、すべての裏打ち紙を剥がし、本紙の裏側から補填や補強を施すことが不可欠です。つまり、掛け軸の修理技術には、接着されている物を剥がす、弱っているものを強化する、適切に接着するという要素が多く含まれています。

参考文献 文化財の保存と修復より

表具と修理の関する概説

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日本には古来、掛け軸装、巻子装、屏風装、など様々な装訂形態があります。絵画や書籍など紙や絹に描かれた内容の事を、文化財修理の分野では「本紙」と呼んでいます。掛け軸装を例にすると、本紙を取り囲むように表装裂地が付けられて床の間にかけられるのが一般的なかたちです。壁や床の間に掛ける時には展開し、巻きあげて箱に収納します。西洋の額とは大きく異なった装訂であることは言うまでもありません。

ただし、額装では、本紙の外周に付けられる、いわゆる額縁と同様に、表装の裂地は本紙の内容を引き立てる装飾の役割と取り扱い時に本紙に手を触れないようにするという保護の役割を果たしています。

さて、一見、構造的にはシンプルに見える薄い掛け軸装では、本紙の裏面に、少なくとも3層から4層の裏打ち紙が接着されているのが通例です。

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参考文献 文化財の保存と修復より

 

絵画の保存修理における基本方針 取り戻された本来の姿

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ところで、「寒山図」は修理によって失われたものばかりしかないのでしょうか?もう少し詳しく見てみましょう。

すると、気づきにくいのですが、画面全体に見えた折れが空間をわかりにくくしていたように、古びた趣があるために、画家の生み出した表現を抑えて閉まっていた側面がこの簡略な「寒山図」にも有りました。その一つは、速度のある運筆が生み出した翻る(ひるがえる)ような線の動きです。特に下半身の後方になびく襟袖の千は、この絵が日本の絵でなく、中国人の筆墨感覚である事を物語っています。鋭くかつのびやかにで強靭な線質、抑揚は華やかで、美しい流動感ある線描は、折れがあることで見えにくくなっていたのです。また、紐の先と襟袖が後方に大きくなびく様は寒山の足元を一陣の風が吹き抜けたことを示しています。線の流麗さと風の表現は折れに阻(はば)まれてしまっていたのです。

次に、この絵の大陸的な大きさは、顔を拡大するとはっきりしてきます。これは、日本的なつまり優しくて気の良い老人などではなく、中国的なエネルギッシュで奇矯(ききょう)な風貌です。みなさんはもっと優しく飄逸(ひょういつ)な、あるいは天真爛漫で童子のような面立ちを期待していたのではないでしょうか。

寒山に相応しい線とは、平滑になった料紙の平面に始めて流麗に現れたのです。それと、もう一つ、これは写真では捉えられないものですが、墨の色合いが変わりました。汚れでなんとなく茶色っぽかった墨は汚れを取ったお陰で黒い澄んだ墨色を取り戻しました。

これらが、修理でこの絵をの姿を取り戻したものです。こうして初めて、実はこの絵の表現本来の姿が修理前よりもハッキリと現れたのです。修理はこの文化財の本来あるべき姿を取り戻したといって良いと思います。

 

参考文献 文化財の保存と修復より