先日、燕三条駅前周辺で「濃い」友人達と楽しい宴会をしました。
今年が60年に一度の出雲大社と伊勢神宮の遷宮の年なのかどうかはわかりませんが、お釈迦様の話題が出ました。
釈迦が菩提樹の下で、35歳の誕生日の夜、ついに悟りを開いた。
その後45年間布教伝道を続けた末、80歳で入滅を迎えた。
釈迦は、相手の能力や性格などを見極めて説法を臨機応変に変えていたため、弟子たちの間には幾つもの教えが混在していた。
弟子たちはそれらを整理するため、「結集」と呼ばれる会合を持って確認しあってきた。しかし、没後、100年ほど立ちと次第に意見の対立が見られるようになり、釈迦の説いたことのみを正当とする「上座部」とときの流れに応じて伝統を改変すべきとする「大衆部」とに根本分裂した。
その後、大衆部は様々な要素を取り入れ世界中に広がり、上座部は古代インド文明圏から外へでることすらが出来なかった。
しかし、世界に広がった大衆部の教えは曖昧な部分が多く、原点を求めて、上座部の教えを求めた。つまり、どちらが良い悪いではなく、両方が必然であったと。光と影。右と左。男と女。
そんな話から、「風立ちぬ」の話題になり、「トトロ」への話題になる。
トトロには昔の日本の原風景や日本人の持つ情緒、子供の純粋さなどがふんだんに散りばめられているすばらしい作品です。
このトトロにも実は、都市伝説が有り、裏のトトロが存在するのです。それは、ネット検索していただければ直ぐに出てきますが、例えば、最後のシーンでなぜ、メイとさつきは病室に入らず、木の上から覗いていたのか?トトロという名前は実は「トロール」というhttp://homepage3.nifty.com/onion/monster/troll.htm 北欧の妖精から由来しているとか、またムーミンのモデルなったといわれています。トロールを見た人間は近い将来死んでしまうことから、死神とも呼ばれている説もあります。又、映像的には、池でメイのものとみられるサンダルが見つかる有名なシーンが有りますが、その前に、走っている時にメイのサンダルが脱げて、履き直すシーンが出てきますが、それが布石となっているのではないかとも言われています。
このへんにも宮崎アニメの緻密さ完成度の高さを感じることが出来ます。見る人によって、いろんな捉え方ができる表現方法で何度観ても新鮮さは失われません。
そして世界中の人々に愛されました。
そんなところに、釈迦とトトロの共通点を感じたのでした。
そういえば、昔、性能に優っていたベータ方式とVHS方式の熾烈な戦いをVHSが制したところにも、ヒントが有るように感じました。