地域のよる、呼び名の違いと思っていましたが調べてみるとなかなかおもしろいもので、私自身楽しく知識を深めることができました。どうぞ、お時間のあるときにご覧ください。
京表具の歴史は,長らく京都が日本の都であったことから,即ち,日本における表具の歴史といえます。
表具の歴史をさらに遡りますと,その発祥は中国。蔡倫(さいりん)による製紙法(105)の改良により,紙が普及する3~6世紀頃,「書画を挂(か)け拝する」という意味の『挂軸』という言葉が出現します。
中国における表具は,竪巻の挂軸として王家の書画を表装することに始まり,隋・唐時代には仏教の隆盛に伴い,仏典・経典の漢訳や書字が国家の事業として行われると,横巻の経巻が出現します。
いずれにせよ,書画の保護と装飾を目的とすることに相違なく,書画を裏打ちし,表装し,軸と八双竹をつけ,軽くて移動や保存に便利な軸装の技法です。
そんな表具の技法が。仏教の伝来とともに日本へ伝わったのは,六世紀の初頭。その証左として,例えば,大宝律令(701)には「図書寮を設け、図書、経籍をはじめ、校写・装溝(そうこう)・筆墨のことを掌(つかさど)らしむ」とあります。装とは料紙の裁断や継ぐことを意味し,潢とは料紙を染める(防虫のために黄檗な樹皮の汁で紙を染める方法で唐において始まった)ことを意味します。
聖武天皇(724―749)在位の頃には,朝廷に写経司(のちの写経所)が設けられ,経師(写経生)・校生(校正)・装潢手・題師・瑩生などの職が置かれました。
なかでも装潢手は,料紙を調えるだけでなく,界線を引き,軸・表紙・紐を装し経典に仕立てる役職で,表具師の前身といえます。経師と装潢手は経巻製作の中心的な役割を担い,他職にくらべて最高の給付を受けていましたが,平安時代に入ると,学問本位の南都仏教に代わり,加持祈祷や修行本位の天台・真言の密教が台頭します。そのために国家事業としての写経は衰退し,写経所は廃止されました。
そうして官職を失った写経所の職人は,民間へと技を発揮する道を求めていきます。
参考文献 京文化通信より
はじめまして
装潢手、経師師の「手」と「師」の違いについて教えてください。
奈良時代の「大般若経 奥書」や「正倉院文書」のどちらかに【装潢手】という職名が記されているそうですが、「手」と「師」の違いは主従関係(熟達度)か家業(身分)に由来しているものなのでしょうか、それとも「古代」「中世」「近世」と時代を経て変わったものなのでしょうか。もし、確認できる文献などがありましたらご教示くださいますようお願いいたします。
コメントありがとうございます。
少し調べてみたのですが、これといった記述を見つけることが出来ませんでした。
何かしら見つけることが出来ましたらご連絡いたします。