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❏ 木材あるいは木箱の調湿作用 ❏

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木材自体が有す調湿作用のメカニズムについての説明は罰の機会に譲りますが、桐箱内の湿度変化の減少について少し詳しく見て見ましょう。

一般的に、けんどん箱などのいわゆる桐製保存箱の内側の湿度変化は、外側に比較して小さくなっています。

この様子を説明するために、物理学で使う調和振動の方程式を当てはめると、時間とともに内部の湿度変化がどれくらいになるかを予測することができ、それと同時に桐箱の性能を評価することができます。箱の仕上がりの良し悪しはありますが、高度な技術と良質な材料とによって制作された出来の良い箱であれば、一日の家で外界の湿度がどんなに変化しても、箱の内部は10分の1以下の変化に抑えられる事がわかりました。外界の湿度が毎日、鋸の刃のように微妙に般化しても、箱の内部の湿度はほとんど変化しませんでした。しかし、大きな季節的な変動に従って、箱ないは感想かつ安定した環境と考えられて板と言いましたが、実際はやや湿度が高目の環境であることがわかりました。湿度は60〜70%くらいの間を緩やかに推移する環境です。

1000年近くわたって、木材だけでこの環境を守り続けてきたといえるでしょう。こうした木材がもつ永い寿命と高い調湿作用は、これからも日本人のかんで綿々と受け継がれて行かなければならない大切な智恵であると思います。木材の超室作用は過去の問題ではなく、今尚わたしたちの生活のかなで、しっかりと生きていることを紹介させて頂きました。

参考文献 文化財の保存と修復より

 

 

❏ なんでも鑑定団 ❏

なんでも鑑定団を見ていてふと、思うことがありました。

骨董品の売買出来高となんでも鑑定団の視聴率は比例するのか?

私は当然比例するものと思っていたのですが、どうやらそうではなく、全く別物と考えほうがよさそうです。つまり美術品の関心度と「なんでも鑑定団」を見ることとは全く違う感情が見て取れる。そんな数値が出ました。

美術品統計     sityouritu

なぜなら、過去10年間、なんでも鑑定団は高平均視率を維持しています。
なぜ、十年以上に渡り、視聴率を保ち続けてているのか?
美術品に対する興味ではなく、人間が持っている元々の感情の部分で、他人の悲劇ほど楽しいものはないという、残酷な部分。

もしかしたら、、、
自分の家にもお宝と同じ物があるのではないかという欲望や願望からきているようだ。

「洗練された紙漉き」其の二

紙床つくり

漉きあげた湿紙は、水分をできるだけ除いた後に、上桁をあげ、簀を持ち上げて、紙床板(漉付板、漉詰板、積み板)の上に一枚づつ積み重ねて紙床を作る。
湿紙を紙床に移す時、床離れしやすくするため、手元の端を少し折り返しておく場合が多い。これを「耳折り」(ひびり、よせ)というが、いぐさや稲わらなどをはさむところもある。
昔は湿紙の水切りのため、漉槽側面に「桁持たせ」を設け、簀を湿紙ごと傾けて立てかけておき、次の一枚を漉いてから紙床に移した。
また「紙漉大概」によると、紙床に移した湿紙の簀…簀上に細かい円筒形の棒(ころばかし木)を圧しながら回転させて水切りした。
これは気泡を消すためで、今は気泡ができないように注意しながら湿紙を重ねる。
ところで、溜め漉きの場合は、湿紙を紙床に移す時、西欧風に一枚ごと毛布にはさむ。粘剤を用いていないので、質紙が互いに剥がれにくくなるのを防ぐためである。

湿紙の脱水

紙床に積み重ねた湿紙は多量の水分を含んでいるので、一夜ほど放置して自然に水分を流出させ、その上に麻布・押掛板などを置いて、圧搾機に描ける。
古くから用いられた圧搾機は支柱の穴に圧搾機の一端を差し込んで紙床にのせ、他端に重石をかけるが、急激な加圧を避けるため、この石は軽いものからだんだん重いものに変えていく。石圧法といって、紙床の押掛板の上に重石を乗せるだけのこともある。
近年は油圧・水圧による螺旋式の圧搾機を用いることが増えている。
また、豪雪地帯では、新潟県の小国紙のように湿紙の塊である紙塊を雪中に埋めて、積雪の重さで圧搾する雪圧法もある

乾燥の方法

圧搾しても湿紙にはなお60~80%の水分が含まれているので、さらに太陽熱または火力で乾燥する。
日本で昔から普及していたのは板干しで、紙床から剥いだ紙葉を干し板に刷毛で貼り付け、野外に並べて天日で乾燥する方法である。
本来は簾に接した面があるので、この面が干し板に接するように貼る。
欲しい他の表裏両面に貼り付け終わると、干し場に運んで板架台に立てかけておく。普通冬季は半日ほど、夏季なら約1時間で干しあがる。
天日干しは燃料なしで経済的に十分脱水でき、日光で漂白されて光沢のある紙が得られるが、量産には適さないし、雨天には作業できない。
そんな欠点があっても、良紙を作るためにこの天日干しに、こだわっている紙郷が多く、「ピッカリ千両」という言葉が残っているところもある。
火力乾燥法は季節・天候に関係なく、昼夜の別もなく、紙かも量産に適するもので、鉄板製の面に湿紙を張り、湯または蒸気で鉄板を熱して乾燥する。
これは近代に考案されたもので、固定式と回転式ガある。
固定式は、断面が三角形や長方形の細長い縦型のものと、横に平らな鉄板をおいたモノとがある。
回転式は、断面が正三角形の角筒である。
火力乾燥によると、紙面は板干しより平滑になり、緊密にしまって腰が強く、均質なものが得られるが、完全に脱水されないので日時の経過につれて重量を増やしたり、和紙独特の味わいが失われる欠点がある。
古来の板干しは日本独特の方法とも言えるもので、中国や朝鮮では熟した壁面「中国で焙碧(ホウヘキ)という」を用い、西洋では室内の縄とか竹にかけて乾かしている。

 

■10年後・・・■

今、新築される建物のほとんどにいえる事だが、確実に和室の数がが減ってきている。
下手をすると一間しかない家も少なくない。
この業界に入ってかれこれ四捨五入すると30年近くになるが、いままでツーバイフォーとかいろんな工法を使った建築を見てきた。その中でほとんどの物が消えていった。
最後に残った工法は結局一番古い工法の軸組み工法(従来工法)だ。
きっと日本の風土に一番適しているから残るのだろうし、増改築ができるなどの柔軟性も評価されているのだと思う。
この30年と言う短期間だけをとっても少しずつ建築手法もかなりの変化をしてきている部分もある。現場に居て一番感じるのは大工さんがゲンノウ(かなづ ち)を持たないことだ。今はほとんど、ビス止めに変わってきている。ゲンノウの代わりに電動ドライバーを握っている。私が弟子の頃は鉋の「シュ!」と言う 心地よい音と、ゲンノウの音とが重なり合っていた。今はモーター音がけたたましくうなっている。

基本の考え方は変わらない。たとえば、基本となる構造材から仕上げ材へ近づくほど材料が薄くなっていく。人の体と一緒だ。

10年後はどうなるのだろう。。。

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今から、5000年~6000年前の化石(新石器時代)若い男女のものらしいです。

■ 何故、掛け軸は数百年前の作品を残すことが出来たか?  ■

まず、これを説明するためには掛け軸の構造を知っていただかなくてはなりません。

基本的には表側から本紙→肌裏紙→増し裏紙→総裏紙の順番でつくられています。

本紙 (紙の場合を紙本、絹地の場合は絹本と呼ぶ)

肌裏 (基本的に美濃紙と呼ばれ、薄くて張りのある丈夫な紙)

増し裏(美須紙と呼ばれ、楮に石灰を混ぜ込んだ柔らかくしなやかな紙)

総裏(宇田紙と呼ばれ吉野で取れる白土を混ぜ込み作られる割とシッカリとした紙

直接われわれの眼に触れるのは総裏に用いる宇田紙です。数百年も前の作品を見ると、はるかに額装より、軸装のほうが多く残されています。

なぜか?
最初に一言付け加えておきますと、物を劣化させる物質は全て酸性であるといわれております。保存に一番適している状態は中性~弱アルカリ性だといわれております。

それを頭に入れておいてください。

それでは解答です!
それは光や空気に触れないからだといわれております。

現在では、家の中で火を起こし煙がでるなんて事はあまり見受けられないようになりましたが、昔は現在の額のように硝子やアクリルなどで保護をするものがありませんでしたし、常に光にさらされていました。

1年を通しての天候による温度差、湿度差、光(紫外線)など、本紙が直接影響を受けていました。

掛け軸はというと、巻き込むことで光を遮断し、空気中を漂っている粒子(酸性物質)から護り、さらに、本紙の表面には巻き込むことで総裏紙に練りこまれた 白土(弱アルカリ)に護られる(中和される)というわけです。また、糊自体は酸性なのですが、美須紙、宇田紙に含まれる石灰、白土のアルカリ性で中和され ます。

このように書いてきますといいところばかりのようですが、実は欠点もあります。

巻き込む事で作品の画面をゆがめてしまうことなのです。本紙の上に乗っている顔料が剥落する恐れがあるのです。

また、取り扱いがなれないと収納するときに皴(しわ)や折れが出てしまうことがあるのです。画面が折れた状態で巻き込むという行為が何度も繰り返されると限界を超えたとき、断裂してしまいます。

現在の日本画は洋画のように顔料を盛る技法が盛んです。そのため、軸装より額装のほうが多く作られるようになりました。

表装するときにはこれらの事を十分踏まえてどんな装飾にするのかご判断ください。

100枚の和紙を手で触っただけで薄いものから厚いものへ順番に並べる方法

手漉き和紙は、文字通り人の手で漉かれるので手漉き和紙といいます。

最近は、道具の改良でかなり均一な紙が漉けるようになりましたが、それでもその人

の癖、体調、気候、材料などが機械で作られるパルプなど比べるとその時々で違った

紙が出来ます。

昔の人はそれと上手に付き合い、むしろ利用してきました。

例えば、紙の上下左右の厚みが違えば、そのときに必要な分だけ取り、左右たがえ

違いに置き、上下の厚みが違えば厚いものと薄いものが重なるように順番に使うなど

の工夫をして来ました。その工程と作業を支えているのが最初の作業として、

紙を厚いものから薄いものへと並び替えるという作業、これが出来たからです。

そういったひと手間を加えることで、誤差を埋めることが出来たのです。

では、「100枚の紙を手で触っただけで薄いものから厚いものへ十番に並び替える方法をご説明いたします。

まず、目の前の100枚の紙を3種類の「厚さ」に分けます。(人間の手の感覚だけ

でも十分出来ます)

その3種類とは、自分の手の感覚で厚いもの、薄いと感じるもの、そしてその中間の

もの以上の3種類です。一番最初の紙を基準とします。これを中間とします。

そして、2枚目、3枚目と手の感触で分けていきます。もし、最初に中間と決めた紙

が3種類の中で一番薄いグループならば、そのときの分類上は、中間のもの、

やや厚いもの、厚いものに分けることが出来ます。あるいは、最初の中間が一番

厚ければ、やや薄いもの、薄いものに分けられます。3つに分けるところが肝です。

すると・・・目のまえには3つの紙の山が出来上がります。この3つの山をさら

にそれぞれの山ごとに3種類の「厚さ」に分けていきます。

100枚の紙→厚い山 ⇒3つに分ける⇒さらに3つに分ける→さらに3つ

(33枚)  (11枚) (3枚か4枚の山) (1枚の山)

中間の山 →    →         →

(33枚) (11枚)  3枚か4枚の山) (1枚の山)

薄い山  →      →          →

(33枚) 11枚) (3枚か4枚の山) (1枚の山)

このように一度に100枚は無理でも、細かく分類することで綺麗に薄いものから

順番に並び替えることが出来るのです。これが先人達の知恵です。

■ 巻物の隠れた役割 ■

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現在、日本画の流行として絵の具を立体的に盛る技法が盛んなようです。
当然、その作品の仕上げ方法として、額装が選択されることが少なくありません。
なぜ、額装なのでしょうか?
それは絵の具を盛ることによって掛け軸のように巻き込むことで画面がゆがみ絵の具が
剥落することを避けるためです。その解決方法として、100年ほど前に太巻きといわれる
もので、桐製で直径2寸ほどの大きな真を作り、それに巻き込む方法がとられました。
そうすることで、画面のゆがみを最小限に押さえようとしたのです。しかし、作品自体が
年々大きくなり、額装にした方がより自然のながれになり、現在に至っております。

今回、ご紹介するのは掛け軸の隠れた保存方法なのです。
掛け軸の基本構造は、作品+肌裏紙+増裏紙+総裏紙で構成されたいます。
私たちの目に直接触れるのは最後に使われる「総裏紙」になります。この総裏に使われ
ている紙はしなやかで厚みのある紙です。紙を漉くときに吉野でとれる「白土}を
混ぜ込みます。この白土の役割は、掛け軸全体のバランスを保つことのほかにもう一つ
大切な役割があるます。それは、「劣化」から作品を守ることです。
作品は長い間に空気中にさらされ、紫外線などを含む光にもダメージを毎日少しずつ
受けています。掛け軸の場合巻き込むことで収納の面からも、場所をとらず、光にもさ
らされず、そして酸性物質からも守ります。白土はアルカリ性を示します。巻き込むこ
とで作品の面をアルカリ性の白土が入っている紙で覆われ酸性からまもっているのです。
現実として、現在額装より遙かに多くの軸装作品が残されています。
もっとも額装も日々進化をしており、紫外線をカットするアクリルなども開発されてい
ます。近年では鑑賞妨げになる光の反射をしないアクリルなども開発されています。

❏ 軸先 ❏

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今回は軸先についてお話しします。
軸先には、金軸、塗り軸、象牙、黒檀、紫檀、白壇、樹脂、プラスチックなどがあります。
それぞれ役割というか用途が決まっていて、その関係について紹介いたします。
作品を際だたせるための一つの目安とお考えください。
金軸    御名号・経文・仏画・
水晶    美人画
黒塗    御名号・経文・般若心経・仏画
朱塗    御名号・経文・般若心経・仏画
蒔絵    武者・美人・雛
一位、面金 神号
瀬戸軸   美人画・墨跡・色紙・短冊・和歌・俳画
象牙    人物・美人画・水墨山水・花鳥
角千段   美人画・武者
紫檀    七言・五言・二言・細字

あくまでも、作品の特徴を生かすためのものですので、絶対ということではありません。
このような使われ方をしたものが多く残されているということです

作品の選定作業とは・・・

 

 

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上が最終的に選ばれた作品です

 

 

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この作品は読みやすく漢字的な手法を使ったのですが、堅い感じがしてしまいかな文字らしさが伝わらなくなってしまった。

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この作品は、3ヶ月間県内を巡回する事を考慮し春らしいピンクではなく、黄色の入った紙を使ってみたが、額のマットとの相性が今ひとつマッチせず見送りとなる

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この作品は、淡いピンクのばかしの入った紙を使ったので柔らかさは出たが、印章が大きすぎるのではないかと思い候補から外れる

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この作品は、印章を小さくし、文字の使い方もかならしく繊細で春らしいイメージに仕上がったが・・・黄色がマットとそぐわない処が気になる。。。

 

悩みに悩んだ末・・・下記の作品に決まりました。
たった一つの作品を生み出すのには相当の苦労があるのです。ここに紹介できなかった何十枚の作品がこの一つの作品の裏側にあります。
今回は新潟女流展に出展されたMさんの作品をお借りして紹介いたしました

 

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【装潢手、経師師、表具師の違い】

地域のよる、呼び名の違いと思っていましたが調べてみるとなかなかおもしろいもので、私自身楽しく知識を深めることができました。どうぞ、お時間のあるときにご覧ください。

 

京表具の歴史は,長らく京都が日本の都であったことから,即ち,日本における表具の歴史といえます。

表具の歴史をさらに遡りますと,その発祥は中国。蔡倫(さいりん)による製紙法(105)の改良により,紙が普及する3~6世紀頃,「書画を挂(か)け拝する」という意味の『挂軸』という言葉が出現します。

中国における表具は,竪巻の挂軸として王家の書画を表装することに始まり,隋・唐時代には仏教の隆盛に伴い,仏典・経典の漢訳や書字が国家の事業として行われると,横巻の経巻が出現します。

いずれにせよ,書画の保護と装飾を目的とすることに相違なく,書画を裏打ちし,表装し,軸と八双竹をつけ,軽くて移動や保存に便利な軸装の技法です。

そんな表具の技法が。仏教の伝来とともに日本へ伝わったのは,六世紀の初頭。その証左として,例えば,大宝律令(701)には「図書寮を設け、図書、経籍をはじめ、校写・装溝(そうこう)・筆墨のことを掌(つかさど)らしむ」とあります。装とは料紙の裁断や継ぐことを意味し,潢とは料紙を染める(防虫のために黄檗な樹皮の汁で紙を染める方法で唐において始まった)ことを意味します。

聖武天皇(724―749)在位の頃には,朝廷に写経司(のちの写経所)が設けられ,経師(写経生)・校生(校正)・装潢手・題師・瑩生などの職が置かれました。

なかでも装潢手は,料紙を調えるだけでなく,界線を引き,軸・表紙・紐を装し経典に仕立てる役職で,表具師の前身といえます。経師と装潢手は経巻製作の中心的な役割を担い,他職にくらべて最高の給付を受けていましたが,平安時代に入ると,学問本位の南都仏教に代わり,加持祈祷や修行本位の天台・真言の密教が台頭します。そのために国家事業としての写経は衰退し,写経所は廃止されました。

そうして官職を失った写経所の職人は,民間へと技を発揮する道を求めていきます。

参考文献 京文化通信より