保存修復」カテゴリーアーカイブ

東京博物館の取り組み 対症修理と本格修理

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上図は、当館の修理保存件数の推移です。

修理保存を実際に担当する専門家が配置されてから、本格修理に比べて対症修理の件数が飛躍的に伸びています。解体を含む大掛かりな修理は、文化財によっては、どうしても周期的に必要になりますが、現実問題としては、経費や時間や文化財自体への負担を考えると、できる限り先送りにしたい処置でもあります。しかしながら、劣化や痛みの著しい文化財に対して、ただただ見守っているだけでは失われるものが多く、活用のできないというジレンマがあります。そこで、やはり対症修理の必要性が年々高まって来ているというわけです。文化財へのアクセスを安全に行うための処置は、時に緊急を要することが多いのも事実です。ぼんやりとした遠い将来のことではなく、目の前の問題を確実に解決していくこと、これが文化財へのアクセスと直結しているのではないでしょうか。

参考文献 文化財の保存と修復より

東京国立博物館の取り組み「臨床保存」

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臨床保存活動は、大きく分けて「環境保存」「修理保存」があります。主軸となる活動は、もちろん「環境保存」です。文化財を取り巻く環境を整え、文化財が傷んでいく速度を遅らせ、現状を維持する事、いわゆ予防保存です。そして、どうしても必要とする場合のみ、「修理保存」を施すわけです。これを確実に実行していく活動を「臨床保存」呼んでいます。

臨床保存は永遠のテーマを実際に両立させていこうという実践的な活動です。「環境保存」の活動にも数多くの枝分かれがあるのですが、今回は「修理保存」を中心にご説明いたします。

大掛かりな修理、これを当館では「本格修理」と呼んでいます。もう一つは比較的規模の小さい、いわゆる応急処置で、「対症修理」と呼んでいます。更に、対症修理には文字通り、損傷部分のみ働きかけて処置を行うものと、将来的な損傷を予測し、それを予防するための処置があります。

また、展示のための調整もこの対象修理に入ります。当館で行なっている修理保存の多くが、特に対症修理に関しては、予防的要素を含む作業であり、予防保存を支えている活動のひとつとして捉えられています。したがって、実際にはこの作業は環境保存から枝分かれしてくるものと考えることができるでしょう。

参考文献 文化財の保存と修復より

 

対症修理とは

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上の図は、掛け軸の軸木に埋められた鉛が錆びて膨張し、軸木の中から爆発した様子です。

掛け軸をまっすぐに垂らすために、鉛を入れた時代が有りました。現在博物館ではこのようなことはしていませんが、かつてそのように処置されたものが博物館にあります。時間がたって爆破した結果、文化財に穴を開けることもあります。何十年もたたないとこのような結果を見ることはできません。

作品は展示場に出る前に、軽微な処置を施され、痛みが出来るだけ見えないよう状態で展示場に運ばれます。収蔵庫内で保管する際にも、できるだけ多くの作品に軽微な処置を施します。そのような予防保存プラス修理保存の意味でこの処置を【対症修理】と呼んでいます。痛みが極度に進んだものは、本格修理を実施して痛みを安定化させる以外に手段はないと思います。ややもすれば、従来こうした本格修理にのみ関心が寄せられていました。しかし、これは避けられなければならない結末です。実際に傷んでしまった文化財も東京博物館には多くあります。すでに数百年から1000年たったものも多いため、みな劣化の方向に向かって進んでいます。この進行を出来るだけ遅らせ、出来れば本格修理は避けなければなりません。今目指しているのは、修理保存から予防保存に舵を切って進んでいくことです。

参考文献 文化財の保存と修復より

収蔵庫内の環境管理

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上の図は、東京博物館の収蔵庫の相対湿度の状態を示しています。東京博物館は九州国立博物館のような新しい施設よりはるかに古い建物なので、そうした古い建物をどう改善していくかが与えられた課題です。上の図では40%〜80%の相対湿度を示していますが、平成11年の相対湿度は70%ほどのところにいます。このようなグラフを用いていると環境の診断・解析ができます。

では、この状態をそうしたらよいのでしょうか。数億円の予算を要求して収蔵庫を改修し、一気に良好な状態に飛び越すこともできますが、それほどの資金はありません。そこで、数十万円の除湿機と加湿器を導入して、館員が交代で協力しながら、朝な夕なに水を足したり、除去したりという努力を積み重ねていくと、年をおうごとに湿度が低下していきます。平成18年の状態を見ていただければ解るように、最も出現頻度の高い湿度は50%程度の値まで下がりました。これは一度にたくさんのお金をかけなくてもできたことです。しかし、人の力がなくてはできませんでした。こうなるとこは理論的にはわかりますが、実現するには学芸員の協力が必要です。私達はこのようなことができるという方向性を示すことは出来ましたが、私達だけの力では実現することはできません。博物館の学芸員やそのほかの職員と橋梁下から実現できたのです。

参考文献 文化財の保存と修復より

掛け軸の修理手順

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掛け軸は通常、本紙の裏から順に、肌裏紙、増裏紙、中裏紙、総裏紙と呼ばれる4枚の裏打ち紙が、小麦粉澱粉糊によって接着されています。(上図)

掛け軸全体を支えている総裏紙と、中裏紙が剥がされると、表具裂が本紙の周囲から外れます。また、増裏紙が剥がされると、本紙と直に貼り合わされたもっとも重要な肌裏紙が現れます。文化財修理の分野では、この肌裏紙を除去する工程は、高い水準の技術が要求されることの一つですが、本紙の折れや亀裂、欠失と言った損傷を根本的に改善するためには欠くことのできない作業です。

さて、掛け軸装はすでに述べた通り、収納時には本紙の表面を内側に巻き込んで箱に収納します。これによって、額縁などに比べれば非常にコンパクトに収納することが可能となります。

ある程度の大きさのモノであれば運搬も簡単で、優れた装訂形態であると言えます。その一方で、本紙の表面を内側に巻き込む作業を何度も繰り返す事によって、表面が擦れて絵の具が剥落(はくらく)したり、本紙に折れが発生するという弱点を有しています。本紙の表面に折れ傷が発生すれば、その箇所は健全で平坦な部分より出っ張るようなかたちで高くなるため、掛け軸の巻き解きの際に余計に表面が擦れる事になって、折れ傷は最終的には亀裂へと進行します。

このような損傷が発生した場合に修理が必要とされます。修理を施さいなまま亀裂を放置しておけば、その小口から損傷が進行して本紙自体の欠失へと悪化し、表現が施されれている本紙そのものが失われることになります。そのことは、絶対に避けなければなりません。

修理作業の内容の詳細は、ここでは割愛させて頂きますが、損傷してしまった本紙を修理するためには、掛け軸装などの装訂を解体して、すべての裏打ち紙を剥がし、本紙の裏側から補填や補強を施すことが不可欠です。つまり、掛け軸の修理技術には、接着されている物を剥がす、弱っているものを強化する、適切に接着するという要素が多く含まれています。

参考文献 文化財の保存と修復より

表具と修理の関する概説

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日本には古来、掛け軸装、巻子装、屏風装、など様々な装訂形態があります。絵画や書籍など紙や絹に描かれた内容の事を、文化財修理の分野では「本紙」と呼んでいます。掛け軸装を例にすると、本紙を取り囲むように表装裂地が付けられて床の間にかけられるのが一般的なかたちです。壁や床の間に掛ける時には展開し、巻きあげて箱に収納します。西洋の額とは大きく異なった装訂であることは言うまでもありません。

ただし、額装では、本紙の外周に付けられる、いわゆる額縁と同様に、表装の裂地は本紙の内容を引き立てる装飾の役割と取り扱い時に本紙に手を触れないようにするという保護の役割を果たしています。

さて、一見、構造的にはシンプルに見える薄い掛け軸装では、本紙の裏面に、少なくとも3層から4層の裏打ち紙が接着されているのが通例です。

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参考文献 文化財の保存と修復より

 

絵画の保存修理における基本方針 真正性と伝統的価値

古びた趣、古色は人の思いが作り上げてきた伝統的な価値と言えます。伝統的価値とは、真性であるかどうかを判断することはできません。そもそも生い立ちが異なるものであって、真性が否かというようなものではないのです。ただ、それを価値あるモノと強く思う人々による称賛だと言えます。しかし、伝統はそれ故に、やがて人々がそう思わなくなれた消えるでしょう。ところが、それが消え去り、失われると気づかれた時、強い思いとともに回帰してくることも有るでしょう。

 

伝統というものはいつも不思議なもので、気付いた時には失われたものとして意識され、つぎにありつづけた確かなものとして意識されます。それは実は繰り返し起こっていることであるようです。長い時間を経て、大事に伝えられてきたものには、伝えてきた人々の思いがこもっています。そうした伝統的な価値観は、文化財の真正性とは別の生い立ちを持つ価値観で、絶えず変化してゆくであろうと思われます

しかし、それは無碍(むげ)に退けるわけには行かない。文化財のよっては、そうした伝統的価値のほうが、制作当初の表現の占める価値よりも大きく重要なものである場合もあるからです。すべての文化財は多かれ少なかれ、制作当初に生み出された要素と、後世に獲得していった要素から成り立っています。そのことをよく理解して、頭のなかで整理しておく事により、伝統的価値をどれだけ遺すかの判断はより正確になるでしょう。

あちらが立場こちらが立たないという関係に真正性と伝統とがある時、一つ一つの絵をよく見つめて、失うものと、後世に遺すべきものを、修理が終了するまでの時間の中で決断しなければならないのが文化財の修理です。

参考文献 文化財の保存と修復より

 

絵画の保存修理における基本方針 伝統的価値としての表装

しかし、まだ何か失われた物を感じます。

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実は、この修理にはもうひとつの大きな判断が有りました。それは表装です。この洒落た輪褙(りんほえ)仕立ては旧表装裂を再使用しました。この表装はもっと柔和で洒脱(しゃだつ)な風貌の人物にこそ調和した楚々とした世界を絵に与えています。しかし、実はもっと大きな空間と強靭さを持った人物を描き出しているのです。このような人物に、この表装はかすかな不協和音を生じでいます。この絵のゆったりとした大陸的な雰囲気を、輪褙の細い華奢(かしゃ)な柱は受け止めきれないのです。この絵の持っている大きさと強靭さとを調和する表装は、この華奢で洒落た美意識の表装ではなく、もっと他にあるように思われます。

しかし、です。取り合わせとして、この耀あ素晴らしい表装は日本の伝統的な美意識のある一面に示していて、設計当初の段階で旧表装裂を再使用することに、関係者は皆疑問を感じませんでした。

また、日本人が中国の故事人物画をどのように見たかが、ここには刻み遺されています。これが、日本文化の設計図としてこの絵の果たしてきた役割のいつ部を伝えていることは疑いありません。これもひとつの伝統的価値を表している要素です。ただし、ここに描かれた寒山が修理前より本来の姿を回復したとき、皮肉なことに、絵の表現と表具の意匠との乖離は、修理前より少し大きくなったのでした。それに気づいた後でも、それはまったく新しい表装に帰るべきであったとは思っていません。この表装は、とても完成した美しい意匠を持っているからです。また、表装自体が古びた趣をもっていて、長い時間の表現、つまり伝統的な価値を保存しています。

この絵の修理が完成した時何かが失われたと感じられたこと、それを突き詰めていくと、伝統的な価値観と言うべきものの働きが介在していることが次第に見えてきたと思います。

絵画の保存修理における基本方針 「伝統的価値としての古色」

さて、今回のテーマである伝統に話が及ぶわけですが、文化財としての絵画の生命である「表現」とは、絵画が制作された時に画家によって作り出されたもですね。ところが、時として、絵画が人から人へと伝えられてゆく間に、時が刻み、画面に遺して行ったものが、表現に準ずる絵画の視覚的価値として珍重されることがあります。それは、いわゆる古びた趣きのあるあるいは古色というべきものです。

具体的に言うと、例えば、料紙表面の細かい毛羽立ちのや若い印象、細かい埃(ほこり)の付着、酸化等によって料紙料絹が茶色がかっていることや、画面の終折れによる細かく薄い陰影などがもたらしているものです。これらは明らかに画家が絵画に与えたものではなく、長い時間がもたらした画面への付着や変色、料紙料絹の損傷といったものです。修理にあたって、修理前と変わらないようにという依頼がある時、これらの要素が絵画の価値の一部として意識されていることがあります。ここで一つ具体例を見てみましょう。

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これは、重要文化財の「寒山図」です。

はじめに修理前の本紙部分をお見せしています。(左側)

画面全体に料紙の細かい折れが見られます。茶色い染みもそこそこ見られます。また、画像ではわかりませんが、料紙の表面に細かい毛羽立ちがあって、それが料紙に厚みと柔らかさの印象を与えていました。こうした修理前の「寒山図」に見られた折れが生み出す、薄い陰影と料紙のむらむらな茶変は、この絵が長い長い時間を経てきたという感慨を呼び起こします。そこには歴史が伝えるかつての所蔵者とこの絵が過ごしてきた時間の記憶が遺されています。その絵の古びた様が先達から受け継がれてきた事の証のように思われるとき、次第にこの絵の伝統的価値が形成されて行きます。折れの陰とむらむらの薄い茶色は、この無背景の絵にあっていわば浅い空間の効果さえ生んでいます。こうした感覚は、例えば茶碗の釉薬(ゆうやく)に背景と呼ばれる表現を見出す美意識と同じ種類の美意識でしょう

参考文献 文化財の保存と修復より

 

 

絵画の保存修理における基本方針 「表現を現状維持する」

 

表現とは何かと申しますと、これは抽象的で難しい言葉ですが、平たく言いかえますと「絵とともにあるけど、絵そのものではない」ものです。

それは美であると言っても良いでしょう。絵の美しさは、絵とともにあるといったものですが、それは絵画の絵絹の繊維や絵の具の薄い層といったものではない。しかし、確実に見えているものです。

この「風雨山水図」でいえば、ここに感じられる画面右上方に開けていく大きな空間の感覚は、物質としての絵絹や絵の具ではなく、しかし絵とともにあるものです。

また画面右上隅から斜めに薄い墨を刷いて表した、この空間を吹き降ろしてくる風もまた、絵のモノの部分ではなく、絵とともにある、つまり表現です。

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文化財としての絵画の生命はその表現にあります。修理にあたっては、表現に変化を生じないよう、また新たな表現を加えないようにすることが必要になります。すなわち、現状を維持するということです。

先ほどの「風雨山水図」に戻ります。先ほどは修理後の姿をお見せしていましたが、修理前が同様であったかをお見せしましょう。(右側)これは斜光で折れを少し強調して撮っていますが、細かい俺のために景観の後世も風の表現のわかりませんでした。この作品は、実は修理によって表現が「本来の姿」を回復した例と言えます。修理後には、折れの無くなった画面に景観がハッキリと現れました。

参考文献 文化財の保存と修復より