昨日に引き続き、神庭氏のパネルディスカッションの抜粋より
私は東博で働かせていただくようになって満9年を迎えようとしています。私が勤める前、一人だけ保存修復管理官がいました。それ以外はいませんでした。その方は5年あまり勤務され、病気で亡くなられ、その後を私が引き継いだわけです。この保存修復管理官という役職は、定員削減の時代の中にあって純増で出来たポストです。この時代に珍しいことです。そこから私の苦悩が始まるわけです。私もその方向を目指してその組織体をつくていきたい。でも、私一人では手も足も出ません。ダルマ状態で仕事しなければなりません。最初は、1台きりのデータロガーを持って保存科学のちからを借りて東博に挑戦する感じでした。なんとか人を増やして、組織を作って、巨大な文化財と建物をどう考えたらよいか。やるからには人が必要です。しかし、純増はもうありません。どうするかというと、人を食っていくんです。つまり、美術史の人がやめたら、その補充に保存関係の人を入れてもらうということです。それによって保存は一人増えますが、美術史が一人減ります。そのような厳しい状況のかなで人を増やさざるを得ません。そうやって何人かの保存専門の人間が確保できてきたのです。私にとっては、なんて言うんでしょうね、申し訳ないのですが、それをやらなければ保存は確立出来ません。だから、「保存は役に立たなきゃならないよ」といつも言っています。学芸員が困っていたら、直ぐに手を差し伸べて、一緒に考えて役に立てる事を信条としてやっています。
京博は人が少ない。保存の人間が一人食っちゃうと展示も何も大変なことになります。じゃあ担当学芸員という方地で良いか。もしも私が保存の専門家ではなく、例えば中国美術史の専門としてここにいて、これが保存担当学芸員として働いていた場合、やっぱり美術史的研究や展示と言った事柄と利益を共有します。だからどうしても、保存という方向性に対する強い欲求が生じにくくなり、保存分野の確立という方向性が明確にはなりません。保存と違う方向に引きずられていきます。ですから、一緒に歩んでいける保存の専門家を、私は一人くらい食って採用していただきたい。そこから始まっていくのではないかと思います。
保存担当学芸員が広がりを見せる一つの底辺を作ることが必要です。その前に、職業があって始めて裾野が広がります。まだ日本にありません。それを何としても実現していく必要があります。保存修復学会会長を先頭に頑張っていただきたいと思う次第です。
参考文献 平成20年度版 文化財の保存と修復より